生田花朝女(いくた かちょじょ、1889年(明治22)~1978年(昭和53))
大阪府出身。本名は生田稔(みのり)。号は花朝のち花朝女
父に明治~昭和の国学者生田南水を持ち、父から俳句。
また北野恒富、菅楯彦といった大阪画壇のトップに師事して日本画を学ぶ。
恒富の画塾白耀社に属して、同社展や帝展、新文展、戦後からは日展にて活躍。
当初は菅楯彦の画風を継承して、何気ない山村風景や自然風景など大和絵風に展開していたが、
白耀社に属すようになって、美人画や地元大阪の天神祭を題材にした作品も手掛けるようになる。
また俳句作品も多数残している。
印名は「花朝」(「華朝」) 「花」 「稔」 「美乃里」 など