渡辺小華(わたなべ しょうか、1833年(天保4)~1887年(明治20))
江戸出身。本名は諧。
渡辺崋山の次男として生まれた。
7歳のころに、父が死亡(しており、その後、父崋山の一番弟子の一人椿椿山について画を学ぶ。
幕末時は、三河田原藩(愛知県)の藩老としても奔走。
明治維新後は、1874年に豊橋に移り画塾を開く。
当時の中部一体から多くの門弟を輩出。
その一方で内国勧業博覧会展、内国絵画共進会展で受賞、明治宮殿の杉戸絵の制作を担当するなど
明治初期~中期にかけて活躍を示し、花鳥、水墨山水、人物などに秀作を残す。
印名は「小華」「小華詩畫」(「小華詩画」)「水月」「對南山」「(対南山)」「眞率家風」(「真率家風」)
「有聲无聲」(有声無声」)「如空居士」など