武者小路実篤

武者小路実篤(むしゃのこじ さねあつ、1885年(明治18)~1976年(昭和51))
東京都出身。東京帝国大学卒業

公卿の家系である、武者小路家の子爵武者小路実世の第8子として生まれる。
学習院高等科を経て、1906年に東京帝国大学に入学。
在学中に、同級の志賀直哉、木下利玄らと「一四日会」を組織する。
07年に同校を中退、10年には志賀直哉、有島武郎、有島生馬らと文学雑誌「白樺」を創刊。
以後60余年にわたり、生涯文筆活動を続ける。
人生の賛美、人間愛を語り続け、無差別社会や理想的な調和社会の創造を目指し、
1918年、宮崎県児湯郡木城町に「新しき村」を建設
(1939年は第二の「新しき村」を埼玉県入間郡毛呂山町に建設)。

戦後は、1946年に貴族院議員に就任、1951年に文化勲章を受章。
文筆活動のほか、1925年頃より絵画分野にも表現を求め、親しみある独特の画と
自らの詩を添えた作品を多く制作。

代表作に代表著書に「お目出たき人」「幸福者」「人間万歳」「真理先生」「友情」「美術論集」他

公的鑑定機関は「無車会」