山田道安(やまだ どうあん)
本名は、初代は順貞、2代は順清、3代は順知
初代道安は戦国時代(1500年代中ごろ)の大和国山田城城主であるとともに画力にすぐれ、
始めは、周文や雪舟の技法を用いた山水画などを描いていた。
後に、中国人画家の画を研究、模倣し南画風の画を残したとされている。
号、道安は同じ印を用い、初代から3代まで続いたといわれている。
初代は永禄12年頃没。
代表作「鐘馗図」が重文指定
山田道安(やまだ どうあん)
本名は、初代は順貞、2代は順清、3代は順知
初代道安は戦国時代(1500年代中ごろ)の大和国山田城城主であるとともに画力にすぐれ、
始めは、周文や雪舟の技法を用いた山水画などを描いていた。
後に、中国人画家の画を研究、模倣し南画風の画を残したとされている。
号、道安は同じ印を用い、初代から3代まで続いたといわれている。
初代は永禄12年頃没。
代表作「鐘馗図」が重文指定