吉嗣拝山(よしつぐ はいざん、1846年(弘化3)~1915年(大正4))
筑前国(福岡県)出身、本名は達、字は士辞
大宰府の町絵師であった吉嗣梅山の子として生まれる。
はじめ学問を広瀬淡窓の私塾「咸宜園」に入門、更に画家を志すようになり
京都に移って南画家中西耕石に師事。
その後、一時、明治維新により岡山備中倉敷に役人として赴任するが
その時事故に遭い右手を切断、以降、役人を辞して左手一本による画制作に専念。
また、秀作を多く残したことから左手拝山と称された。
また、自分の右手の骨から造った筆を愛用したと言われる。
1月11日69歳で没した。
印名は「拜山」 「拜山人」 「拜山左手」 「吉嗣達印」 「吉士辭印」 「江上清風山間明月」 「左手」 など