中川一政

中川一政(なかがわかずまさ、明治26年(1893)2月14日~平成3年(1991)2月5日 97才没)
東京本郷生まれ。

1914年、巽画会展に出品した「酒倉」が岸田劉生に見出されて画家を志す。
1920年、初の個展(油彩)を開く。
1922年、二科賞受賞後、小杉放庵らと「春陽会」設立に参加。
1931年 水墨画の個展を開く。
1949年 神奈川県真鶴町にアトリエを構える。

文化勲章を受章。

油彩だけではなく、岩彩(日本画)書・篆刻・陶芸・装丁など
その創作活動は自由奔放で多方面に渡っている。また随筆家としても知られる。

母の故郷である石川県松任市(現 白山市)に松任中川一政記念美術館
神奈川県足柄下郡に真鶴町立 中川一政美術舘がある。

鑑定人・鑑定機関

日動画廊内各鑑定委員会
〒104-0061 東京都中央区銀座5-3-16
Tel:03-3571-2553
https://www.nichido-garo.co.jp/appraisal.html

寺内萬治郎

寺内 萬治郎(寺内 万治郎、てらうち まんじろう、明治23年(1890)~昭和39年(1964) 74才没)
大阪生まれ。

1916年、東京美術学校西洋画科卒業。黒田清輝に師事する。
1922年、金塔社結成。
1929年、光風会会員。
1943年、東京芸術大学講師。
1960年、日本芸術院会員。

日本人の裸婦をモチーフとしています。
その裸婦像は、必ずしも均整のとれた裸婦ではありません。
よく言えば存在感のある、悪く言えばずんぐりとした裸婦です。
しかしこの裸婦像の中には、寺内の万感の思いが込められています。

智内兄助

智内兄助(ちない きょうすけ、昭和23年(1948)~)
愛媛県今治市(旧越智郡波方町)出身。6人兄弟の末子。

1971年、「シェル美術賞展」佳作賞。「日仏現代美術展」フィガロ1席、2席、特別賞。
東京芸術大学大学院油画科修了。

1980年代前半より、長女・久美子氏をモデルに艶やかな着物姿の童女を描いた一連の作品で評価を得る。
日本画古来の素材である和紙や絹を洋画材のアクリル絵具を結び付けた独特な画法で、
日本画と洋画との境界を越えた革新的な絵画表現を創り上げる。

1992年、新聞連載された宮尾登美子の小説『蔵』の挿絵が人気を博した。
2002年、2004年ギャルリーためながパリ店にて個展開催、ヨーロッパのコレクターを魅了、
特に大コレクターであるロスチャイルド家に蒐集される。

2007年愛媛県美術館にて大回顧展開催。

高畠達四郎

(たかばたけ たつしろう、1895-1976)
東京都生まれ。

1916年、本郷洋画研究所に学ぶ。
1919年、光風会展に入選。
1921年、帝展入選。
1922年、渡仏。(~28年)
パリ、アカデミーランソンに学び、サロン・ドートンヌなどに出品。
1928年、国画会展に出品。
1930年、独立美術協会創立会員となる。 1953年、以降度々渡欧。
1955年、日本国際美術展で佳作賞受賞。

鑑定人・鑑定機関

日本洋画商協同組合鑑定登録委員会
〒104-0061 東京都中央区銀座6-3-2 ギャラリーセンタービル6階
TEL:03-3571-3402
http://www.yokyo.or.jp/jada/judge.html

鶴岡義雄

(つるおか よしお、大正6年(1917)~平成19年(2007)10月27日 90才没)
茨城県土浦市出身。林武に師事。

1941年、日本美術学校卒業。二科展で「台湾蛮女」が初入選。
1947年、二科展で「化粧」が二科賞受賞。
1950年、二科会会員となる。
1969年、カンヌ国際展に招待出品。サロン・ドートンヌ会員となる。
1974年、二科展で「ソワルドパリ」が内閣総理大臣賞受賞。

日本芸術院賞受賞、勲四等旭日小綬章受章、日本芸術院会員、茨城賞受賞。

滞欧生活を機にマドモアゼル・シリーズを制作、のち舞妓をモティーフとするようになる。

田村能里子

田村 能里子(たむら のりこ、昭和19年(1944)~)
愛知県名古屋市生まれ。

1966年、武蔵野美術大学油絵学科卒業。
1969年、インドに滞在し、大地に生きる人々を描く。
1982年、昭和会展優秀賞受賞。
1988年、西安のホテル「唐華賓館」壁画制作。
1989年、中山競馬場のロビーに壁画制作、以後各地で壁画を制作する。
JR東海名古屋駅ビルの壁画、テレビ東京で壁画制作、ファンケルスクエアで壁画制作。
マルホ株式会社創剤技術研究所に壁画「季のきらめき」を制作。

アジア、西域の人々をモチーフとした素描、油彩画を中心に制作。
世界的な壁画作家として活躍中。

安田火災海上美術財団賞、日本青年画家展優秀賞、前田寛治大賞展佳作賞等を受賞。
NHKほかTV出演多数。現在無所属。

田村孝之介

田村 孝之介(たむら こうのすけ、明治36年(1903)9月8日~昭和61年(1986)6月30日 82才没)
大阪市生まれ。本名・大西孝之助。

1920年、上京して太平洋画会研究所に学んだ。
1921年、大阪に戻り、小出楢重に師事した。
1926年、第13回二科展に初入選。
1927年、第1回全関西洋画展全関西賞を受賞。
1937年、二科会会員。
1947年、熊谷守一、宮本三郎らとともに二紀会を創立した。
1974年、二紀会理事長に就任。

裸婦、風景画を描く。

日本芸術院会員、文化功労者。

高田誠

高田誠 (たかだまこと、大正2年(1913)9月24日~平成4年(1992)10月24日 79才没)
埼玉県生まれ。

浦和中学在学中の16歳のときに「浦和風景」で二科展に初入選を果たしました。
1930年、安井曽太郎に師事。
1937年、一水会第一回展より出品し、翌年一水賞を受賞。

昭和15年頃から高田自身の独自の風景観がより強く現れてきます。
湿潤で土着的な安井の風景世界を踏まえつつも、穏やかで暖かい駘蕩とした風景画です。

日展文部大臣賞受賞、日本芸術院会員、文化功労者、浦和市美術家クラブ会長

鑑定人・鑑定機関

日本洋画商協同組合鑑定登録委員会
〒104-0061 東京都中央区銀座6-3-2 ギャラリーセンタービル6階
TEL:03-3571-3402
http://www.yokyo.or.jp/jada/judge.html

田村一男

田村 一男(たむら かずお、明治37年(1904)12月4日~平成9年(1997)7月10日 93才没)
東京生まれ。

高等小学校卒。東京市電気局や新聞社に勤務。
1924年、洋風額縁の先駆者である長尾建吉(静岡出身)の磯谷商店に勤め、岡田三郎助に師事。
1928年、「赤山の午後」が帝展初入選。
1940年、光風会会員。
1942年、昭和洋画奨励賞受賞。1946年、日展特選。1954-55年渡欧。1963年日本芸術院賞受賞。

油絵に山水画の東洋的感覚を持ち込み、独自の画風を創作した。代表作は「梅雨高原」。

日展理事、日本芸術院会員、文化功労者。

東郷青児

(とうごう せいじ、明治30年(1897)4月28日~昭和53年(1978) 80才没)

鹿児島市に生まれる。

1915年、山田耕筰の東京フィルハーモニー赤坂研究所の一室で制作。
このころ有島生馬を知り、以後師事する。
1921年、フランスに留学、リヨン美術学校に学ぶ。この頃の作品には、ピカソらの影響が見られる。
1928年、二科展に23点を特別陳列する。
1930年、ジャン・コクトーの「怖るべき子供たち」を翻訳、白水社より刊行。
1931年、二科会の会員となる。
1938年、二科会に「九室会」が結成され、藤田嗣治と共に顧問になる。
1957年、岡本太郎と共に日活映画『誘惑』に特別出演(西郷赤児役)。
1976年、損保ジャパン東郷青児美術館開設。

日本芸術院会員。勲二等旭日重光章受章。
フランス政府よりオフィシェ・ドルドル・デ・ザール・エ・レットル(文化勲章)受章。
文化功労者、正四位追贈。

鑑定人・鑑定機関

東郷青児鑑定委員会
〒104-0061 東京都中央区銀座1-20-9 岡崎ビル3階A
https://gallery-natume.amebaownd.com/