十代 柏叟宗室 認得斎

十代 柏叟宗室 認得斎(にんとくさい、1770年(明和7)~1826年(文政9))
本名は与三郎のち粂三郎(幼名)、宗室

裏千家10世家元 柏叟宗室

9世石翁玄室の長男として生まれる。
32歳の頃に裏千家家元を継承。
主な仕事としては、常叟宗室(5世宗室)百回忌、宗旦150回忌などを初めとして
一燈宗室33・50回忌、少庵200回忌などの法要茶会を担当。
陶芸にも深い造詣を示し、手捻りの茶碗・茶器を残す。
また、柏叟宗室の長男宗一を始め、6男を設けているが、いずれも夭折であった為、
1819年に三河松平家より養子を受け入れている。

七代 竺叟宗室 最々斎

七代 竺叟宗室 最々斎(さいさいさい、1709年(宝永6)~1733年(享保18))
本名は政之助(幼名)、宗乾、宗室

裏千家7世家元 竺叟宗室

表千家6世原叟宗左の次男として生まれた。
裏千家6世泰叟宗室が子を残さずに没した為、18歳のとき養子(形式上は泰叟宗室の養子)として
今日庵に入り、その7世を襲名。
父、原叟宗左の後見を受けて加賀金沢藩や伊予松平藩に出仕したが25歳で早死している為、
詳細や業績については資料が少ない。
実兄に表千家7世天然宗左、弟に裏千家8世一燈宗室がいる。

九代 曠叔宗左 了々斎

九代 曠叔宗左 了々斎(りょうりょうさい、1775年(安永4)~1825年(文政8))
本名は宗禎のち宗員、宗左

表千家9世家元 曠叔宗左

久田家6世家元久田宗渓の子として生まれる。
表千家8世件翁宗左に男子が無く、その婿養子として表千家に入り、34歳の頃に表千家9世を襲名。
紀州徳川家の茶頭として従事していたが、その10代紀州藩主徳川治宝は歴代藩主の中でも
特に茶の湯の造詣が深く、のちに利休茶道の免許皆伝としている。
また、現在の表千家表門を治宝より拝領。

六代 原叟宗左 覚々斎

六代 原叟宗左 覚々斎(かくかくさい、1678年(延宝6)~1730年(享保15))
本名は勘太郎(幼名)、宗員のち宗左

表千家6世家元 原曳宗左

久田宗利(久田家2代)の弟で久田宗全(久田家3代)の子として生まれる。
実質的には、表千家5世良休宗佐の甥に当たるが、12歳の頃に表千家に入る。
しかし、その二年後に養父5世良休宗佐が没しており、
その後若くして家業を継承して紀州徳川家に出仕。
また、1723年には江戸に上がり、8代将軍徳川吉宗に謁見、唐津茶碗を拝領している。

十四代 宗左 而妙斎

十四代 宗左 而妙斎(じみょうさい、1938年(昭和13)~(現在))
本名は宗左。

表千家14世家元

13世家元即中斎の長男として生まれる。
1967年に大徳寺・方谷浩明師より而妙斎の号を拝領。
80年に父即中斎の没に伴い14世家元を襲名。

伝統ある茶の湯を現代に伝え、国内外において献茶会や講演に活躍。
1990年には、利休400年忌法要茶事を務めている。

十一代 瑞翁宗左 碌々斎

十一代 瑞翁宗左 碌々斎(ろくろくさい、1837年(天保8)~1910年(明治43))
本名は与太郎(幼名)、宗員のち宗左、宗旦

表千家11世家元 瑞翁宗左

10世祥翁宗左の長男として生まれる。
1855年に父の隠居に伴い家元襲名。
1868年の明治維新まで紀州徳川家に出仕したが、幕府崩壊に伴い終焉となり、
また幕末~明治初期は茶の湯衰退期となる。
碌々斎はそうした困難な時代背景の中で神社仏閣などでの茶事を多くこなして茶の湯復興に努め、
1886年には北野大茶の湯三百年記念茶会、87年に明治天皇に献茶、
90年に利休三百回忌を担当、伝統を守っている。

八代 件翁宗左 啐啄斎

八代 件翁宗左 啐啄斎(そったくさい、1744年(延享元)~1808年(文化5))
本名は与太郎(幼名)、宗員のち宗左、宗旦

表千家8世家元 件翁宗左

表千家7世家元天然宗左の長男として生まれた。幼少時に父と死別。 川上不白の援助や、叔父に当たる裏千家8世家元の一燈宗室の茶道指導を受ける。
14歳の頃に表千家家元を継承し、紀州徳川家の茶頭を勤める。
また、1788年に天明の大火により焼失した不審庵を再興、利休200年忌、3代宗旦の百回忌、
150回忌を主宰した。

十三代 無盡宗左 即中斎

十三代 無盡宗左 即中斎(そくちゅうさい、1901年(明治34)~1979年(昭和54))
本名は覚二郎(幼名)、宗左

表千家13世家元 無盡宗左(無尽宗左)

12世敬翁宗左の二男であったが長男が早死であった為、1937年に家元を襲名。
その後、42年に同門会(後75年に社団法人表千家同門会)を発足させ
機関紙を発行するなど現代茶の湯の発展に尽力。
70年には日本全国に支部を持つようになり、また海外においてもハワイ、ロスアンゼルス、
サンフランシスコを拠点に普及活動を進める。

十代 祥翁宗左 吸江斎

十代 祥翁宗左 吸江斎(きゅうこうさい、1818年(文政元)~1860年(万延5))
本名は達蔵(幼名)、宗左のち宗旦

表千家10世家元 祥翁宗左

7世久田宗也の次男として生まれた。
表千家9世曠叔宗左の没後、後継者の無かった表千家に入り、8歳にして家元を襲名。
その後、10歳のときに紀州徳川家に出仕して、先代了々斎の門下であった徳川治宝侯に茶事を師事。
1839年には、利休250回忌を勤めた。

七代 天然宗左 如心斎

七代 天然宗左 如心斎(じょしんさい、1705年(宝永2)~1751年(寛延4))
本名は与太郎(幼名)、宗巴のち宗左

表千家7世家元 天然宗左

表千家6世家元原曳宗左の長男として生まれる。
26歳の頃に家督を襲名、表千家7世宗左となる。

茶の湯が一般にも普及し始めて遊芸性が増したことにより、
新たな茶道の稽古法として「七事式」を裏千家8世家元の一燈宗室らと共に制定、
また1740年には、利休没後150年を期に利休を祀った祖堂を建設。
さらに家伝の利休形の道具の整理をして極書をおこなった。
家元が一子相伝であることに明確性を出すため「云置」を製作、後年の家元継承に際して指針となった。
表千家のみならず、現在の茶道家元制度の基盤を確立したとして千家中興の祖とされている。