オールドノリタケ

 

オールドノリタケとは、1800年代の末から第二次世界大戦前後頃まで、
ノリタケカンパニーの前身である森村組と日本陶器で作られ
主にアメリカへ輸出された装飾品(花瓶、壷、陶製人形、置物、陶製化粧セットなど)と
テーブルウェア・ディナーウェアの総称です。

それらの製品群は、工業的に優れた技術力と伝統的な感性、
テクニックが融合した芸術作品として高い評価を受け、
現在では骨董愛好家から『オールドノリタケ』とよばれる人気の高いコレクターズアイテムです。

オールドノリタケは大きく2つに分類されます。
1つは1885年頃から1935年頃までにアメリカに輸出された日本的な商品を含む
アールヌーボーを中心とした西洋画風のグループ。
もう1つは大正末期頃から昭和初期頃の短い間に流行したアールデコのグループです。

アールヌーボーを中心としたオールドノリタケは、盛り上げ、一陳による細かな粒状の盛り上げ、
金盛、石膏型による技法(モールド)、エッチング、タペストリー、エナメル盛、転写技法など
特徴ある技法が使われています。
また、それらの技法以外にも、オールドノリタケのデザインのモチーフ、
構図が素晴らしい事、緻密で繊細な仕事による高い品格の製品である事も見逃してはなりません。

エインズレイ

エインズレイ(Aynsley)は、イギリスの陶磁器メーカー。

エインズレイは、1775年スタッフォードシャーの炭坑経営者だったジョン・エインズレイによって、
設立されました。
当初は、銅版彫刻を使ったプリント絵付けで製造したビアマグが中心で、
絵柄の主題は、スポーツや政治的イベントを扱ったものでした。
2世の時代に、喫茶の習慣の定着を敏感に察知し、ティーセットに着手。 成功を収め、
ストーク・オン・トレントに進出します。
3世の時代、スポード窯で、ボーン・チャイナが製品化されると即導入。 さらに大きく発展を果たしました。

英国王室では現在でも祝事の際、まずエインズレイに発注が下るそうです。
ダイアナ元王妃の成婚時にもエインズレイの陶花が選ばれています。

ウェッジウッド

ウェッジウッド(Wedgwood & Corporation Limited)はイギリスの陶磁器メーカー。

ジョサイア・ウェッジウッドによって1759年に設立された。

ロイヤルドルトン社と並ぶ世界最大級の陶磁器メーカーの一つである。
主に高級食器を製造・販売しているが、アクセサリやタオル、テーブルクロスなども扱っている。

「英国陶工の父」と称されるジョサイア・ウェッジウッドは、1730年、チャーチャード工場と営んでいた陶工トーマスとメアリー・ウェッジウッドの末子、第13子としてイギリス、スタッフォードシャーに生まれる。

9歳の時に父親が亡くなると、工房で修業し、1754年には当時英国の最も偉大な陶工で、
フェントンのマスターポッターであったトーマス・ウィルドンとの共同経営に入ります。

そこでジョサイアは実験を重ね、アゲード ウェア、クリーム ウェア、新しい釉薬の研究を進めました。
彼はのちに『作品の胎土、上釉、色、形を絶えず改良していこうと試みるとき、我々を取り巻く大地は限りなく広がり、良い土は豊富にあり、労を惜しまず努力するものには、その苦労に報いる充分の恵みがある。』
と言い、これらの実験はのちに事業に欠かせない財産となったそうです。

1759年ジョサイア・ウェッジウッドによりスタフォードシャー州・バーズレムで創業。
1762年、ブリック・ハウス工場に移転。
1765年、「クイーンズウェア」の名称使用を許可される。
1769年、エトルリア工場の操業開始。
1878年、「ポートランドの壺」をウェッジウッド社の商標に入れる。
1895年、ジョサイア・ウェッジウッド・アンド・サンズとして会社を法人化。
1940年、バーラストンへ工場を移転。
1967年、ウェッジウッド家以外の社長が初めて誕生。
1986年、ウォーターフォード・クリスタル社と合併。これにより「ウォーターフォード・ウェッジウッド」となる。
2009年、経営破綻。同年3月、KPS キャピタルパートナーズ社が親会社となり再建を目指す。

ウェッジウッド(Wedgwood & Corporation Limited)

イカール

ルイ・イカール(Louis Justin Laurnet Icart)、1888年9月12日、
銀行家ジャン・イカールと妻エリザベートの長男として、
南フランス、トゥールーズ市のトラヴェルジエール・ド・ラ・バランス街に生まれる。

生活のため、サンドウィッチマンなどをしていたが、ポストカードの工房に職を得て、
他の画家が描いた作品をコロタイプで印刷したものに手彩色を施しながら、
モチーフと銅版などの版画製作の技術を学ぶ。
1908年、「演劇批評(ラ・クリティク・テアトル)」の表紙をデザインした。

当時の華やかな女性文化を繊細なタッチで表現し、また第一次世界大戦を生き抜いた独自の戦争観で
エッチング作品を多く生みだした。
中でも、イカールの絵に出てくる女性は皆、妖艶な魅力をかもしだす。

1930年代に入ると、ゆったりと落ち着き、くつろいだ感じの成熟した女性を描くスタイルに変化します。
油彩画も青色や灰色などに色彩が変化し、「白いヴィジョン」と呼ばれています。

1950年62歳で没するまで、数々の作品を世に送り出し続けた。

アール・ヌーヴォー

アール・ヌーヴォー(Art Nouveau)とはフランス語で「新しい芸術」を意味する
19世紀末~20世紀始めの芸術運動。 18~19世紀に起こった産業革命以降、
工芸品の質が低下していく中、実用品に芸術品を取り戻そうと起こったもの。
植物をモチーフとした曲線や局面を特徴とする。
浮世絵など日本美術も影響を与えたとされるこの運動は、ヨーロッパやアメリカで
広まった。

ビアズリー、クリムト、ミュシャ、ティファニー、ガレ、ドーム、ラリックなどが有名。

アビランド

リモージュ アビランド(LIMOGES HAVILAND)
フランス南西部パリから約400キロに位置するリモージュは、
ヨーロッパ有数の磁器の街として有名です。

18世紀頃、磁器の主原料カオリンの鉱脈がこの地で発見されて以来、
フランス王朝の華やかな宮廷生活を飾った磁器づくりの都となりました。

アビランド社はダヴィット・アヴィランドにより、1842年にリモージュ地方で創業しました。
1867年に開催されたパリ万国博覧会で金賞を受賞し、世界中にその優れたデザインと品質をアピールし、
リモージュを、フランスを代表する名窯としての地位を築いていました。

陶磁器の工場を創設以来、アビランドはテーブルウエアの世界で輝かしい歴史を刻んできました。
時代が変遷する中、多くのアーティストたちとコラボレーションを行い、
5万点に及ぶデザインを生み出し、165年以上もの間、世界の皇室や大統領などの公邸、
また世界のクラッシー家庭の食卓を飾っています。

1990年代にヨーロッパでも屈指の先進的工場が完成。
その芸術性に新たな息吹も吹き込まれ、ますますその魅力を増しています。

アウガルテン

アウガルテン(Augarten, Vienna(Viennese) Porcelain Manufactory Augarten, Augarten Vienna Porcelain Manufactory)は、オーストリアの磁器工房。
正式名称ウィーン磁器工房アウガルテン(Wiener Porzellanmanufaktur Augarten)。
アウガルテンの名は、ウィーン市北部、ドーナウ島レーオポルトシュタット区西北端に位置する公園に基づく。

1718年にデュ・パキエが「ウィーン磁器工房」(あるいはパキエ磁器工房 Manufaktur Du Paquie)として創設。マイセン磁器工房に継ぐヨーロッパで2番目に造られた磁器工房であり、
世界初の磁器によるコーヒーカップを作ったといわれる。

1744年、マリア・テレジアによって皇室直属の磁器窯となる。
このときよりハプスブルク家の盾型の紋章を商標として使用するようになった。
現在の製品にはすべてこの紋章が刻印される。

製品はすべて職人による手作り及び手書きで、工房内で独自の粘土調合と熟成によって作り出される
白磁は、優美かつ洗練されたもの。
代表的な絵柄に、「マリア・テレジア」、「ウィンナー・ローズ」、「ビーダーマイヤー」などがある。

小山正太郎

小山正太郎 (こやましょうたろう、安政4年(1857) ~大正5年(1916) 59才没)
新潟県生まれ。

1871年、上京。幕末維新期に一早く西洋画法を学んでいた川上冬崖の画塾聴香読画館に入門。
1874年、陸軍士官学校の図画教授係になる。ここでフランス人御雇教師アベル・ゲリノーから図学と水彩画を学んだ。
1876年、工部美術学校開設とともに入学。イタリア人御雇教師アントニオ・フォンタネージに学ぶ。
1878年、十一会結成。
1900年、パリ万博の出品監査委員となる。

東京高等師範学校の図画科主任、文展審査委員。

小山敬三

(こやま けいぞう、明治30年(1897)8月11日~昭和62年(1987)2月7日 89才没)
長野県小諸市に生まれる。

1916年、川端画学校で藤島武二に師事。
1920年、島崎藤村のすすめで渡仏。 アカデミー・コラロッシでシャルル・ゲランに油絵を学ぶ。
1929年、神奈川県茅ヶ崎市にアトリエを構える。
1975年、村野藤吾設計による小諸市立小山敬三美術館が完成。

日本芸術院賞、日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章を受章。
春陽会会員、サロン・ドートンヌ会員、二科会会員、日展理事。

鑑定人・鑑定機関

小山敬三美術振興財団
〒150-0032 東京都渋谷区鶯谷町15-13
Tel:03-3461-0172

日動画廊内各鑑定委員会
〒104-0061 東京都中央区銀座5-3-16
Tel:03-3571-2553
https://www.nichido-garo.co.jp/appraisal.html

小松崎邦雄

小松崎邦雄 (こまつざきくにお、昭和6年(1931) ~平成4年(1992) 61才没)
東京に生まれ。

1950年 東京芸術大学美術学部油画科に入学。安井會太郎のち林武の教室で学ぶ。
1954年、東京芸術大学美術学部油画科を卒業、安宅賞・大橋賞を受賞。
一水会第16回展(東京都美術館)に初入選、以後入選を重ねる。
1956年、東京芸術大学美術学部専攻科を修了、大橋賞を受賞。
1957年、一水会会員となる。
1987年、個展<舞妓の世界展>を日本橋・三越で開催。

昭和会賞、東郷青児美術館大賞、浦和市文化栄誉賞、宮本三郎記念賞。