中島千波

中島千波 (なかじまちなみ 昭和20年(1945)10月21日~)
日本画家 中島清之の三男として長野県に生まれる。

1965年 東京芸術大学美術学部日本画科に入学。
1969年 院展に初出品初入選する。
1971年 東京芸術大学大学院を修了。
1979年 第5回山種美術館賞展 (山種美術館) で優秀賞受賞
1980年 第2回日本秀作美術展 (日本橋・高島屋) に選抜出品
1984年 「横の会」結成に参加する。
1992年 おぶせミュージアム・中島千波館(長野県小布施町) 開館

桜や牡丹などに代表されるみずみずしく華やかな花の作品、社会性、宗教性に富む人物画の大作、そして装丁画や挿絵など幅広い活動で知られ、現代日本画を代表する作家の一人として高く評価されています。

中村大三郎

中村大三郎 (なかむらだいざぶろう、明治31年(1898)~昭和22年(1947) 50才没)
京都府に生まれる。

西山翠嶂に師事する。
在学中の大正7年第12回文展に「懺悔」が初入選、
同8年の第1回帝展「雙六」、第2回展の「静夜聞香」と
第4回展の「燈籠大臣」が特選となっている。

早くから人物画題を好み、美人画も多い。
大正15年(1926)、第7回帝展「ピアノ」を機に現代風俗の美人画に転じた。

昭和8年(1933)画塾を創立し、後進の育成に努める。

中村岳陵

(なかむら がくりょう、明治23年(1890)3月10日~昭和44年(1969)11月20日 78才没)
静岡県下田市生まれ。本名は恒吉。

10代のうちに上京し、琳派の流れを汲む野沢堤雨や土佐派の川辺御楯に師事。
1912年東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科卒。
日本美術院同人、26年日本美術学校教授を務める。

1930年福田平八郎、山口蓬春と六潮会を設立する。
1950年に日展へ活躍の場を移すまでは、院展を活躍の場とする。

伝統的な大和絵を出発点とする岳陵ですが、その枠にとらわれず、有職故実を見事に表現した歴史画や、近代的な女性を描いた人物画、琳派風の動植物画、写実的な風景画など、様々な分野の作品を数多く残しています。

代表作に「輪廻物語」「気球揚る」等。

鑑定人・鑑定機関

中村岳陵鑑定会
〒249-0002 神奈川県逗子市山の根2-2-13
Tel:0468-71-2379

中路融人

中路融人 (なかじゆうじん 昭和8年(1933)~)
京都生まれ。

山口華楊に師事する。
1962年 第5回新日展特選・白寿賞(以後特選1回)

日展評議員、日展文部大臣賞、日本芸術院賞、日本芸術院会員。
2006年第38回日展審査主任を務める。

中村正義

中村正義(なかむら まさよし、1924年(大正13)~1976年(昭和51))
愛知県出身。本名は中村正義(まさよし)

1946年、中村岳陵の画塾蒼野社に入塾する。
同年、第2回日展で初入選。
50年、第6回日展で特選・朝倉賞、52年第8回日展で特選・白寿賞を受賞。
1960年、36歳の若さで第3回新日展の審査員となるが、現画壇の体制では自由な表現ができないと
独自に悟り、翌年から日展及び師の画塾蒼野社を脱会し、無所属画家として制作を続けた。

終生のテーマに「顔」を取り上げ、「絵のすべては自画像」「何を描いても自分自身」と考察し
自画像の作品は「顔」の連作をはじめとして、多種多様な顔作品を残す。
作品の中には、口から飛び出た歯を持つ顔、曲がった鼻を持つ顔、
更に顔の中に違う顔を描いた作品など、一目すると奇形な顔の作品も多数制作しており、
自身の著作物に『創造は醜なり』としている。
52歳という若さでなくなるまで、芸術の真髄を模索し、その表現する場を求め続けた
夭折の画家として日本画史にその名を残す。

印名は「正義」「義」ほか

中村宗弘

中村宗弘(なかむら むねひろ、1950年(昭和25)~(現在))
神奈川県出身。祖父は日本画家の中村岳陵(1890~1969)。幼稚舎から慶応義塾に学ぶ。

高校へ入学後、1965年中村岳陵の門下となり、本格的な画家修業に入る。
1968年高校3年で、第3回日春展に『早春』を初出品し、日春賞受賞。
同年、秋の第11回新日春展に『翠明』を初出品し、特選・白寿賞受賞。
1969年、第4回日春展に『早晨』出品、奨励賞受賞。
第1回日展に『月鐘』を無鑑査出品し、外務省買い上げとなる。
岳陵没後、71年には、児玉希望の推挙により、東山魁夷の指導を受け、
魁夷直伝の技法により幻想的な風景画を継承する。
1973年、慶應義塾大学文学部東洋史学科卒業。
東山魁夷のもとで、さらなる研鑽を積み、1976年26歳で日展会友となる。

日展以外での活躍も目覚しく、1978年銀座・村越画廊での初個展。
1978年、80年には日本橋三越、1982年池袋西武などで開催する。
個展では「四季彩々」「京洛十二ヶ月」「光と霧」などのテーマで作品を展開。

現在は、日展、個展を中心に活躍。
伝統を重んじながらも、時代の空気を取り入れた新しい日本画の創造を目指し、
活躍の場を広げている。

印名は「宗弘」「技苑荘」など

中野蒼穹

中野蒼穹(なかの そうきゅう、1925年(大正14)~1981年(昭和56))
福島県出身。本名は中野二郎。

中村岳陵に師事して、当初は院展にて出品していたが、
師の日展転向に際して、同じく日展に出品するようになる。
1960年に日展特選・白寿賞。
64年に菊花賞を受賞。

画風は、風景、花鳥を得意とした。

印名は「蒼穹」 「蒼」 など

中尾相阿彌

中尾相阿彌(相阿弥) (なかお そうあみ、1459年(長禄3)~1525年(大永5))
芸阿弥の子。

室町幕府足利義政将軍の唐物奉行として仕えた。
連歌、生け花、水墨画、茶、など多彩な才を発揮し、また書画、茶道具の鑑定なども手がける。
中でも書画を得意とし、中国の書風を独自に研究、狩野派へとつなげた。

祖父能阿弥、父芸阿弥と三代を総称して「三阿弥」という。

印名は「鑒岳」「道友」「李碩」「眞相」(「真相」)「海翁」など

中尾能阿彌

中尾能阿彌(能阿弥)(なかお のうあみ、1396年(応永3)~1471年(文明3))
本名は眞能(真能)(さねよし)

始めは越前朝倉氏に仕えていたが、後に、足利義政に仕えて能阿弥と称して、
同朋衆の一人に数えられる。
絵画制作、書画の鑑定・保存、表装、座敷飾りの指導、連歌、香道など幕府の芸能全般にわたり
活躍を示し、特に画では牧谿に深く傾倒し水墨画を多く残して後に阿弥派と称される一家を形成。
また、連歌師としても北野連歌会所奉行となるなどした。

伝能阿弥筆とした水墨画は数多く残るが、確証のあるもので残る物は
「白衣観音図」、「花鳥図屏風」、「蓮図」などで数は少ない。
能阿弥の子に芸阿弥、孫に相阿弥がおりいずれも将軍家に仕えている。
一説には1396(応永3)~1494(明応3)

印名は「眞能」(「真能」)「能」など

中尾藝阿彌

中尾藝阿彌(芸阿弥) (なかお げいあみ、1431年(永享3)~1485年(文明17))
本名は(法名)眞藝(眞芸・真芸)、通称は芸阿弥画家

足利将軍家に仕えた能阿弥の子として生まれる。
家業を継いで、父と同じく同朋衆として画庫の管理や文化顧問を勤める傍ら、
自らも画を描き能阿弥風に中国宋・元画の湿潤な趣をいれて独自の画法を確立。
相阿弥の父、賢江祥啓の師としても知られている。

代表作に「観瀑図」ほか。

印名は「學叟」(「学叟」)「四甲叟」など