中野嘉之

中野嘉之(なかの よしゆき、1946年(昭和21)~(現在))
京都府出身。多摩美術大学卒、同大学院終了

大学在学中の1967年に、新制作協会展に初入選。
72年、新制作協会春季展春季賞、同年、新制作協会新作家賞と受賞する。
75年以降は、新制作協会からの新団体創画会に出品し、
同年、第一回創画会春季展にて春季賞を受賞。
創画会展の出品のほかは、個展、グループ展、「横の会」、各種展覧会に出品。
80年、第2回東京セントラル美術館日本画大賞展佳作賞、92年MOA1岡田茂吉賞、
94年京都美術文化賞と数々の受賞を重ねる。
2005年、芸術選奨文部大臣賞を受賞し、日本画家としての確固な地位を築いている。

趣味のバードウォチングを生かした、鳥を題材にした作品や風景画を多く制作し
観察力と鋭い描写力により、自然の生動を表現。
近年は、水墨画や裸婦といった新たなイメージも展開する。

印名は「嘉之」「嘉之印」など

中山高陽

中山高陽(なかやま こうよう、1717年(享保2)~1780年(安永9))
土佐(高知県)出身。本名は姓は源。通称は清右衛門

土佐の富商阿波屋勝久の次男として生まれる。
はじめ佐川深尾家の儒者、富永惟安に儒学と詩を学ぶ。
後に細井広沢の書を傾倒するようになり、広沢門下の関鳳岡に師事。
1758(宝暦8)年には江戸に出て井上金峨、澤田東江ら当時の文人らと交友、共作を多く遺し
なかでも高陽の画に金峨の賛、東江の書したものを三絶と称され人気を博した。

「蘭亭曲水図巻」にて重美に指定。

印名は「子和」 「字子和」 「象光」 「鶴汀」 「上和下睦」 「高陽酒徒」 「号和氏」
「國香斎書画印」(「国香書画印」) 「來禽」(「来禽」) 「松石斎」 「延沖」 「源鱗」
「守静篤」 「顧文桓印」 「仲廷沖印」 「廷沖子知」 「庭中」 など

奈良美智

奈良 美智(なら よしとも、1959年12月5日 – )
青森県立弘前高等学校卒業まで弘前市で育つ。

武蔵野美術大学を1年で中退。1985年、愛知県立芸術大学美術学部卒、1987年、同大大学院修了。
美術系予備校教員を経て渡独。

1988年、ドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミー(Kunstakademie Düsseldorf)に入学。
A.R.ペンク(A. R. Penck)に師事。
1993年、マイスターシュウラー取得。
ケルン近郊のアトリエを拠点に作品を制作、欧米を中心に国際的に注目される。

1995年、名古屋市芸術奨励賞受賞。
1998年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員教授を村上隆と3か月間務める。
2000年、ドイツから帰国、東京に居住。
2005年、栃木県在住。2006年度武蔵野美術大学客員教授。

日本の現代美術の第二世代を代表するひとりで、世界的に評価されているポップアート作家。
ニューヨーク近代美術館(MoMA)やロサンゼルス現代美術館に作品が所蔵される。

西内利夫

西内利夫(にしうち としお、1933年(昭和8)~1981年(昭和56))
京都府出身。日吉ヶ丘高校日本画科卒

日吉ヶ丘高校を卒業後は晨鳥社に入塾。
山口華楊の指導を受ける。
以降、晨鳥社社展及び日展・新日展、京都市美術展などに出品する。
日展入選のほか、1956年、第8回京展にて市長賞を受賞。
また1967年より、アメリカ・メキシコに留学する。
1974年より毎年中国に取材旅行。

岩絵の具を用いた雄大な山岳風景などに、秀作を残したが48歳で急逝。

落款名は「利」

西川祐信

西川祐信(にしかわ すけのぶ、1671年(寛文11)~1751年(寛政3))
京都出身。

加納永納・土佐光祐に師事する。
西川派の祖。初め狩野派や土佐派の書法を学んだが、菱川師宣や鳥井清信などの
江戸浮世絵師の影響を受け、浮世絵師として一家を成す。
又、作品の多くは「西川絵本」と称され、京・江戸の東西で評価を得た。
門下には、梨木祐為、川枝豊信、川嶋重信、井上景椹、寺井重房、高木貞武、下川辺拾水がいる。

代表作に「絵本百人女郎品定」

印名は「西川」 「西川氏」 「祐信」 「祐信圖印」 「文華堂」 「西川圖印」 など

西沢笛畝

西沢笛畝(にしざわ てきほ、1889年(明治22)~1965年(昭和40))
東京出身。本名は石川昴一。号は笛畝、比奈舎、木槿庵(木槿盦)、雙来居

荒木寛畝・荒木十畝に画技を学ぶ。
大正4年、第9回文展に「八哥鳥の群れ」が初入選する。
以後文展・帝展に出品を続ける。
昭和4年第10回帝展で無鑑査、9年第15回帝展では審査員をつとめる。
荒木十畝・池上秀畝亡き後、読画会の代表理事をつとめ、伝統の花鳥画を守った人。
また、日本画院の結成に参加する。

人形研究家としても知られ、市松人形の図など人形を題材にした作品も多く残し、
「日本郷土玩具辞典」なども著している。

印名は「木槿庵」 「木槿盦」 「雙来居」 「木槿庵主人」 「蘇」 「比奈舎」 「ひなしや」
「笛畝」 「子明氏」 など
日本工芸会初代会長。

西村五雲

西村 五雲(にしむら ごうん、明治10年(1877)~昭和13年(1938) 61才没)
京都に生まれる。本名・源次郎。日本画家の西村卓三は息子(次男)。

13歳で岸竹堂に入門し、1899年竹内栖鳳に師事する。
第一回文展で「咆哮」が三等賞受賞。

花鳥・動物画で名声を得た。
また、画塾「晨鳥社」を主宰して門下の育成に努めた。門下に山口華楊などがいる。

1913年京都美術工芸学校教諭。
1924年(大正13年)京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)教授、
1933年帝国美術院会員、1937年帝国芸術院会員。

西山英雄

西山英雄(にしやま ひでお、1911年(明治40)~1989年(平成元))
京都府出身。京都市立美術専門学校卒

大正~昭和の日本画巨匠西山 翠嶂を叔父に持ち、中学生の頃から画技を学ぶ。
1931年、帝展初入選、34年に特選受賞となる。
その後戦時中は出兵となるが、戦後は日展を中心に活躍。
47年に第3回日展にて特選、58年第1回新日展にて文部大臣賞を受賞、
61年に日本芸術院賞を受賞し、80年には芸術院会員に就任している。

赤系統の色彩を基調とした力強い筆致と大胆な構成力によって描かれた
山岳景色を最も得意とし、また60年代からはヨーロッパ、中国、中東などに外遊し
各地の風景作品も多く残す。

印名は「英」 「HIDEO」 など

根上富治

根上富治(ねがり とみじ、1895年(明治28)~1981年(昭和56))
山形県出身。東京美術学校卒

東京美術学校にて、結城素明に日本画を、また本郷洋画研究所にて岡田 三郎助に洋画の技術を学ぶ。
1921年第3回帝展にて初入選、翌第4回には特選を受賞。
以降も帝展、文展に出品していたが、38年に川崎小虎、望月春江らと共に日本画院を結成。
同院展に出品、また帝国美術学校にて後進の指導にも尽力。
戦後は日展で活躍した。

印名は「富治」「根上之印」など

西山翠嶂

西山翠嶂(にしやますいしょう、明治12年(1879)4月2日~昭和33年(1958)3月30日 78才没)
京都府生まれ。本名は卯三郎。

竹内栖鳳に師事。京都市立美術工芸学校卒業。
文展、帝展で活躍する。
第1回帝展審査員にもなる。

大正10年に画塾青甲社を創立。堂本印象・中村大三郎・上村松篁らが輩出した。

代表作は「青田」「青梅」等。

京都絵専校長、帝国芸術院会員、帝室技芸員、1957年、文化勲章受章