彫金家・日本画家 東京生
水戸派の彫金家盛寿の子 号は浅庵
幼少より家業を父に習い、絵画を酒井道一・河鍋暁斎・今尾景年に就いて学ぶ
鋳金を土台とした丸彫の人物・動物を得意とした 大正8年(1919)歿、56才。
投稿者: 古美術ささき
月山貞一
大阪府生まれの日本の日本刀名匠。本名は月山清。
鎌倉時代から続く刀工一族の後裔で800年の歴史を誇る月山派の伝統を受け継ぐ。
大阪月山家の5代目として綾杉鍛え(あやすぎきたえ)や月山彫を継承。
1982年 無鑑査(刀鍛冶の最高位)認定。1995年 全日本刀匠会会長就任(現 顧問)。2003年 奈良県指定無形文化財保持者に認定。
1946年 人間国宝 月山貞一の三男として大阪に生まれる
1969年 大阪工業大学建築学科卒業
1975年 高松宮賞受賞記念、刀匠月山貞利展(大阪にて)開催
1979年 刀匠月山貞利展(大阪にて)開催
1982年 新作刀展で名槍日本号模索出品し無鑑査に認定 ボストン美術館での「日本の人間国宝展」で師に同行
1983年 刀匠月山貞利展(大阪にて)開催
1984年 月山一門展開催(大阪にて) 第61回伊勢神宮式年遷宮御料太刀7振(師との合作含)鉾3振謹作。
1988年 大阪市立博物館「出羽三山と月山刀匠展」出品 ボストン美術館に於いて「月山歴代とその伝統展」開催
1989年 奈良県立文化会館「八百年の伝統月山歴代展」開催。
1990年 刀匠月山貞一・貞利展(東京日本橋髙島屋)開催
1993年 刀匠月山貞利展(東京日本橋髙島屋)開催
1994年 刀匠月山貞一・一門展(大阪にて)開催
1995年 奈良県桜井市芽原に月山記念館開設 全日本刀匠理事長就任
1997年 奈良県桜井市無形文化財保持者指定 刀匠月山貞利展(東京日本橋髙島屋)開催
2001年 刀匠月山貞利展(日本橋髙島屋)開催
2003年 模国宝春日若宮社御料太刀謹作 奈良県指定無形文化財保持者認定 奈良新聞文化賞受賞
十代 年朗
十代 大樋長左衛門
本名は奈良 年郞(なら としろう)。
陶芸家。大樋焼窯元十代。
昭和2年(1927)石川県生。本名は奈良年朗。東京芸大卒。
芸術院賞・文部大臣賞受賞。
日展理事審査員。現代工芸常任理事審査員。
文化勲章受章者。
2016年に大樋陶冶斎を襲名
十一代 慶入
(けいにゅう、1817年(文化14)~1902年(明治35))
丹波酒造屋小川直八の子として生まれ、のちに旦入の婿養子として楽家に入る。
11代楽吉左衛門
1845年、28歳の頃に12代楽吉左衛門として家督を襲名。
西本願寺御庭焼露山窯に従事し、同寺明和光尊より号・雲亭を賜る。
のち、1871年の隠居後、慶入と名乗った。
また京都府の御用に従事、博物館の御用掛けなど、主に京都中心の活躍となった。
慶入の時代は、幕末~明治にかけての動乱期にあたり、茶や伝統文化の廃れた時代であったが
茶碗のほかに、立体的な置物などを作り、作陶に多様性を加えた。
印には、大徳寺大綱和尚筆の細書体の「楽」印を主に使用し、その他に行書体の「楽」、
草書体の「楽」、隠居後は上部に「白」中部に「絲(実際には糸偏が並列)」下部に「木」といった
独自の「楽」の書体の印を使用した。
五代 宗入
五代 宗入(そうにゅう、1664年(寛文4)~1716年(享保元))
雁金屋三右衛門の子。本名は平四郎、惣吉のち吉左衛門
5代 楽吉左衛門
幼少時に一入の養子となり陶技を継承。
元禄4年27歳の頃、5代吉左衛門を襲名する。
歴代楽家の中でも最も初代長次郎の作風に近く、よく研究した。
また独自の釉薬「カセ釉」を用いて、重厚な黒楽茶碗を得意とした。
そのほか宗入の赤楽茶碗は白みを帯びており特徴となる。
陶印は、印は楽印のほか字体の判別が困難な崩し「樂」印を使用。また無印の作品も多い。
豊平良彦
(とよひら よしひこ、1941年(昭和16)~(現在))
父・翠仙 兄・翠香に師事
巧匠会会員
豊平翠香
(とよひら すいこう、1936年(昭和11)~(現在))
師事 豊平翠仙 守屋松亭
昭和11年 東京都港区芝巴町 生
昭和33年 白山系 守屋松亭師事
昭和41年 日本工芸会 新作展初入選、日本伝統工芸展入選
昭和43年 第1回文化庁漆芸養成を受ける
昭和51年 日芸展 文部大臣賞受賞
平成13年 彩の国優秀技能賞受賞
平成19年 21世紀美術展出品(〜22年)
共益社団法人日本工芸会 正会員/日本文化財漆協会 会員
豊平翠仙
豊平翠仙(とよひら すいせん、1901年~1967年)
沖縄出身の蒔絵師。京都の象彦に勤めたのち、東京に出て白山松哉に師事し精巧繊細な伝統的蒔絵技法を受け継ぐ。
晩年守屋松亭の仕事を請け負う。子に豊平翠香(1936~)豊平良彦(1941~) 孫に豊平江都(1975~)。
木村雨山
木村雨山(きむら うざん、1891年(明治24)~1977(昭和52))
石川県出身。本名は文二。
石川県立工業補習学校自在画図案科を卒業。
絵画を南画家大西金陽に学び、加賀染めを上村松太郎の元で修行する。
1934年、独立して帝展で特選、37年のパリ万国博にて銀賞を受賞。
戦後は日展に出品を重ねる。
54年、第1回日本伝統工芸展初出品し、以後同展を中心に活躍
55年、「友禅」の技法にて国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定。
同年日本工芸会理事に就任、76年には勲三等瑞宝章を受章。
日本画の技術による優雅で端正な世界観を確立。
図案には草花や花鳥など自然美を題材に写生を基本として制作に当った。
矢口永寿
矢口永寿(やぐち えいじゅ、1870年(明治3)~1952年(昭和27))
石川県出身。師は初代滝口加全。
本名は岩吉。号は永壽(永寿)、(別号)清々軒
江沼郡山中温泉の湯宿の子として生まれる。
1904年に京都より永楽保全の門下滝口加全ら陶工数名を招き、自邸に磁窯を築き永寿窯を開窯。
さらに06年には清水六兵衛の門人・戸山寒山も招いて染付磁器を中心に食器類を多く制作したが
その後は赤絵・祥瑞・乾山・仁清など京焼と色絵磁器の名手として茶陶中心に作風を変えた。
また、陶芸のほか書画、料理にも秀で北大路魯山人らとも親交を深めた。
陶印は「永壽」(「永寿」)など