リチャード・ジノリ

リチャード・ジノリ(RICHARD-GINORI)
イタリアの総合陶磁器メーカー。

1735年にトスカーナ大公国のカルロ・ジノリ侯爵が自領であるドッチアに磁器窯を開き創業。
研究の末、イタリア初の白磁を完成させた。
開窯当初はマイセンのような豪華で精緻な芸術作品に力が注がれていた。
その後三代目カルロ・レオポルドによって1792年フィレンツェに初の直営店が開かれ、
現在でも多くの人々に愛されている『イタリアン・フルーツ』などは一般庶民にも知られていきました。

1896年、ミラノのリチャード製陶社と合併して、現在のリチャードジノリとなる。
1956年、ラヴェーノのイタリア陶磁器会社と合併し、イタリア最大の陶磁器メーカーとなった。

ジノリ最古の代表作である「ベッキオホワイト」は不変の定番として親しまれている。
また、「イタリアンフルーツ」は現在でも新鮮さに満ちあふれ、不朽の名作として愛される。

ラリック

ルネ・ラリック(René Lalique、 1860年4月6日 – 1945年5月5日)
19世紀~20世紀のフランスのガラス工芸家、宝飾(ジュエリー)デザイナー。
アール・ヌーヴォー、アール・デコの両時代にわたって活躍した作家。

1860年、フランス、シャンパーニュ地方マルヌ県アイ村に生まれ、パリで育った。
1876年、パリの装飾美術学校に入学し、宝飾工芸家で金属細工師のルイ・オーコックに師事。
1878年から1870年までイギリスに滞在し、サイデナム・カレッジで学んだ。

1885年、パリのヴァンドーム広場にアトリエを構える。
この頃のラリックは、おもに女性向けの高級アクセサリーをデザインしていた。
カルティエなどの著名な宝飾店にも作品を提供し、当時の高名な女優サラ・ベルナールも顧客であった。
1897年、レジオン・ド=ヌール勲章を受章。
1900年のパリ万国博覧会では宝飾作品が大きな注目を集め名声を得た。

1918年、アルザス地方のヴァンジャン=シュル=モデールに新たな工場の建設を始める。
1922年(1921年とも)年に完成した。これが、21世紀の今日まで続くラリック社の起源である。

日本との関係では、1932年に旧皇族朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)のガラスの扉や
シャンデリアなどの製作を受注している。

ラリックのガラス工芸品は、動物、女性像、花などのモチーフを好んで用いたデザインが特色である。
素材としては乳白色で半透明のオパルセント・グラスを好んで用いた。
1920年代中頃からは色ガラスの作品も増えるが、色ガラスを使う場合も単色で用いることが多かった。

モーゼル

モーゼル (Mauser)

1872年にモーゼル兄弟が設立した銃器メーカーで、ワルサー社と並ぶドイツの老舗である。
1811年、ヴュルテンベルク王国のフリードリヒ1世が、ネッカー川河畔のオベルンドルフの修道院に、
王立ライフル工場 (königlichen Gewehrfabrik) を建造した。これがモーゼル社の前身である。
フランツ・モーゼルと、その息子たちの、兄ヴィルヘルム、弟パウル(ペーター・パウル)のモーゼル兄弟は、
この工場の職工だった。

1867年、モーゼル兄弟は、ボルト・アクション銃の新しい閉鎖機構を発明。
1868年、特許をアメリカで取得。
アメリカのレミントン社のサミュエル・ノリスが契約をし、レミントン・モーゼル銃を量産した。
ノリスは引き続き、ライフルM1878をプロイセン王国の制式銃とする契約を取り付けた。

1872年(1873年とも)、兄弟はモーゼル社を設立し、1874年、王立ライフル工場を買い取った。
1884年、モーゼルも連発式のM71/84を製造した。
これを基本設計とした銃が、世界各国で採用され、連発式ライフルの市場を制覇した。

1896年には、自動拳銃C96を開発した。C96にまつわる逸話も多く当時のドイツ皇帝であったウィルヘルム二世が自らテストし非常に気に入っていたという話なども有名な所です。
独特のグリップ形状から「Bloom Handle (箒の柄)」という愛称でも呼ばれます。

1898年、ライフルモデル98を発売した。このモデルは多くの派生モデルを生み、ロングセラーとなった。

ミントン

ミントン(Minton)は、イギリスの陶磁器メーカー。

1793年、銅版転写の彫刻師だったトーマス・ミントンによって創業された。
やがてボーンチャイナの製造に着手して飛躍的な発展をとげました。
ミントンは豪華に金彩を施した食器を数々生み出し、1840年、ビクトリア女王より賞賛される。

1863年、ミントンは高度な金装飾技法である「アシッドゴールド製法」を開発。
1870年には最高の装飾技法として知られる「パテ・シュール・パテ技法」を導入しました。

戦後になるとミントンは、金彩を施したシリーズから一変し、
1948年、デザイナーのジョン・ワズワースがハドンホール城の壁画をヒントにした「ハドンホール」を発表、
ミントンの永遠の定番品として、その名を世界に知らしめることとなる。

また、「ハドンホール」と同時期にデザインされつつも、採用とならなかった「ハドンホールブルー」が
1993年に発表され、以後「ハドンホール」と並ぶベストセラーとなる。

ミュラー

ミューラーは、モーゼル地方生まれ。
(フランス東部、ドイツまでの一帯。戦争によって国境がよく変わったため、フランス国境内でもドイツ語が交錯する町です。ミューラー兄弟が生まれた時はドイツ領内でした)
モーゼル地方で生まれた男9人女一人、合計10人兄弟という
大家族の兄弟贅員がガラス工芸作家という珍しい家族です。

当初、兄弟はフランスのクリスタルメーカーとして有名なサン・ルイガラス工場で働いていた。
しかし、普仏戦争(1870-71)がはじまったため、兄弟はフランスのリュネヴィルに疎開。
1885年頃、兄弟のうち、デジレとウジェーヌの2人がガレの工場に入り、ガラス作家としての修練を積みます。また、他の兄弟もそれぞれガラス職人の研鑚を積むことになりました。

その後アンリ、ピエール、ヴィクトールは兄に続きガレの工場に参加し、
当時最先端のガラス技法や様式を学びます。
ガレの工房では、工業地帯に近いこともあり、さまざまな薬品を使って最新の釉薬や技法の
研究が盛んでした。
1895年、アンリが独立し、リュネヴィルに工房を開設。
兄弟全員が参加してガラス生産を開始したのが、ミューラーの工房のはじままりです。

製品の主流はガレのようなカメオグラスで、一部エナメル彩色のものも製造されました。
この頃のデザインはアールヌーボー様式です。

第一次大戦後はアールデコと呼ばれる様式が主流となり、
幾何学的なモダンデザイン、工業生産がしやすいデザインが増えます。
肉厚でフロストガラスにモダンなレリーフを施したミューラーのランプのスタイルは
この頃から1930年代に多く作られました。

マイセン

マイセン【MEISSEN】

ヨーロッパ陶磁器界最高峰の地位を誇る「マイセン」
錬金術師ベットガーの手により作り上げられた白磁は1709年以来その製法と模写方法において
まったく色褪せることなく今日に至ってます。
その有名な「二本の剣」のマークは製法を外部へ漏らさぬようにとの願いが込められたものでした。
その為監禁され続けたベットガーは30後半という若さで亡くなってしまうのです。
当時はそれほど白磁というものは貴重だった理由なのです。

シノワズリーの天才絵付け師ヘロルド、 フィギュリンの原型を創ったといわれるケンドラーなど
すばらしい人物を輩出したのもこの釜です。

中国絵付けのザクロをタマネギと間違えたといわれる「ブルーオニオン」、
大輪の花が見事な「ブルーオーキッド」今なお磁器芸術の頂点として活躍するマイセンは
すばらしい評価を受け続ける美意識の塊でもあるのです。

ベネチアン

ベネチアン【Venetian】
イタリア、ベネチア(ムラノ島)発祥のガラス工芸品。

古代ローマで始まったガラス加工技術はイタリアに数多くのガラス工房を建てるに至る。
ベネチアは共和国であった時代、ガラス職人は国策により家族ごとベネチアの島々の一つ
ムラノ島へ移住させられ、脱出は死罪という強制的隔離をしき技術保護した。
実際に15世紀には高級工芸品と認知されヨーロッパ全土へ広まる。
展性のあるガラスを極限まで細く伸ばして装飾されたヴェッテ、フィグリーナと呼ばれる製品や、
原色のグラスに金箔・銀箔の装飾を施したオロロット、クリムト(画家クリムトをイメージしたもの)などが有名。

ヘレンド

ヘレンド【HEREND】
ヘレンドハンガリー・ヘレンド。1826年、ブタペストから120kmヘレンド村に窯が開かれました。
1839年、モーリツ・ファルカス・ハージ・フィッシャーにより陶器から磁器へ製造が変更。
皇帝フランツ・ヨーゼフやハプスブルク家より恩恵を受けることとなります。

1851年、イギリスで開催された万国博覧会でシノワズリのディナーセットが
ヴィクトリア女王の目に留まりイギリス貴族の中に広まります。
このシリーズはウィンザー城に持ち込まれたためのちに
ヴィクトリアというパターンになるほどのシリーズになります。
その他ヘレンド窯の出資者でもあったロスチャイルド家のために作られたロスチャイルドバードなど
貴族ゆかりの品々が作られたのもこの時期でした。

1867年のパリ博では柿右衛門写しであるインドの華がナポレオン3世の妃の目に留まるなど世界中の王族貴族が注目する窯となりました。 シノワズリやジャポニズムなど東洋趣向の強かったヘレンドはハンガリーが愛する国をあげての窯に発展していき現在に至ってます。

バカラ

フランスの高級クリスタル食器ブランド。
バッカスの飲み物という意味の「バカラ」 。
最初、7年戦争後の財政難を乗り切るため
フランス王ルイ15世はメッツ市司教のモンモランシー・ラバルに対して、
フランス東部ロレーヌ地方のバカラ村にガラス工場設立を許可する。
その気品に満ちたグラスはやがて「王候のクリスタル」と呼ばれる程にまで成長しました。

繊細なカット技術により装飾される「パルメ」「ローハン」
光の効果を巧みに演出したグラスは重厚かつ優美なシルエットで素敵な一時を醸し出してくれます。

ニュンフェンブルク

1747年、選帝候マックス3世により創立される。
1761年にミュンヘンのニュンフェンブルク城に移り、今に至っています。
ブランドのロゴは、バイエルンの選帝候と王室の紋章からなっています。

ニュンフェンブルクの製品は磁器製造の工程に使われる動力の全てを昔ながらの水車による水力発電に頼るという方法を頑なに守り続けています。
また製造工程においてのまず第一歩である陶土作りにも、食器やフィギュリンに
最も相応しい陶土にするために定期的にコントロールをしながら2年という長い時間をかけ、
フォルムを作る工程ではカップなども型を使わずろくろでひとつずつ作り上げ、絵を描き、
完成するまでのその工程のすべてを完全な手作業で行なっています。

金彩に使われているのは高品質の24金で、どんなに古くなっても変色することはまずありえないでしょう。
ニュンフェンブルクの製品を一度手にとれば、その完璧なまでのクオリティの高さに納得がいくことでしょう。
現在のニュンフェンブルクは、従来は裏側にひっそりと隠れていたブランドマークや
商品番号・ペインター番号などを商品のモチーフの一つとしてしまうという斬新なデザインをはじめ、
新鋭デザイナーによる様々な新しいデザインにも意欲的に取り組んでいます。

伝統的なものから最新デザインのものまで、幅広い魅力を備えた最高級ブランドです。