岩田糸子

岩田糸子(いわた いとこ、1922年(大正11)~2008年(平成20年))
中国大蓮出身。

中国大連にて出生。幼少時はロンドンにて過ごし、7歳のときに日本(東京)に帰国。
1935年より有島生馬に洋画を学ぶ。
1949年にガラス工芸作家岩田久利と結婚。
1958年より自らも硝子制作を開始し当初はランプなどを制作。
また、60年ごろより硝子による障壁画制作、65年ごろより硝子による室内家具、装飾品類など幅広く製作、
68年日本橋三越にて初個展を開催以来、毎年各地で新作を発表。
展覧会では日本ガラス工芸協会日本のガラス展、創立展、現代女流美術展、
現代ガラス造形展などに出品。
89年には89’japan shop日本経済新聞社社長賞、
94年にはアメリカにてグラス・アート・ソサエティ最高栄誉賞を受賞するなど国内外を通じて活躍。

女流ガラス作家の先駆者、指導的立場として高い評価を受け、
作品はメトロポリタン美術館、デュッセルドルフ美術館、コーニングガラス美術館など
国内外の主要館に多数所蔵。
女性らしい柔らかなフォルムで動きと流れを表現、
夫久利とはまた違ったガラスにおける表現の可能性を広げ、
壁画作品では更なる色彩の鮮烈さを表現してガラス美術空間を創造。

岩田藤七

岩田藤七(いわた とうしち、1893年(明治26)~1980(昭和55))
東京都出身。実家は日本橋の呉服問屋を経営。
東京美術学校金工科、西洋画科卒。

1928年に東京美術学校金工科を卒業後、更に西洋画科に進み23年に同科を卒業。
独自にガラス工芸を研究して1928年には第3回帝展で「吹込みルビー色硝子銀花生」で特選を受賞。
翌年第4回展、翌々年第5回展ともに特選を受賞、3年連続の特選で一躍注目を集める。
1929年には岩田工芸硝子会社を設立。

戦後は、日展に出品を重ね1951年に前年の第6回日展出品作「光の美」により日本芸術院賞を受賞。
54年には芸術院会員にも就任、さらに70年には文化功労者表彰を受ける。

ガラスの持つ流動的な性質と多彩な色彩によりガラスの美術的価値を高め、
日本の近代ガラス工芸の基礎を築きその先駆者として多大な貢献を示した。
出品作や本人自ら秀作と思われた作品には、箱書きとして作品の絵を墨にて描いている。

印名は「藤七」 など

藤田喬平

藤田喬平(ふじた きょうへい、1921年(大正10)~(現在))
東京都出身。東京美術学校工芸家彫金部卒

少年期よりガラス関係に従事した仕事を目指す。
当時はまだガラスを専門に教える学校などがなく東京美術学校工芸家彫金部に入学。
卒業後は、日展に鉄製のオブジェ作品を出品し入選となる。
以降は展覧会などには出品せず招待出品などを発表の場とする。
1947年、やはりガラス工芸への意欲を捨てきれず岩田工芸硝子に入社。
ガラス工芸の技術を学び、その後退社し独立。
1960年以降は東京・横浜・京都・大阪などの高島屋を中心に毎年個展を開催。
70年代後半からは海外での評価も高まり西ドイツ、デンマーク、スウェーデン、イギリス、アメリカなどの
各国の美術館・画朗で発表。

内外で多数の受賞歴を持ち日本のガラス工芸を世界レベルに押し上げた巨匠として有名。
当初は薄ガラスによる小皿・小鉢などを製作していたが、
70年代にはいりヴェネッィアガラスを研究し現地にて制作をするようになる。
近年は「手吹き」の技術を確立し色ガラスに金拍を導入し、
日本伝統技法のひとつである琳派を表現している。

宮城県宮城郡に藤田喬平ガラス美術館がある。(ふじた きょうへい、1921年(大正10)~(現在))
東京都出身。東京美術学校工芸家彫金部卒

少年期よりガラス関係に従事した仕事を目指す。
当時はまだガラスを専門に教える学校などがなく東京美術学校工芸家彫金部に入学。
卒業後は、日展に鉄製のオブジェ作品を出品し入選となる。
以降は展覧会などには出品せず招待出品などを発表の場とする。
1947年、やはりガラス工芸への意欲を捨てきれず岩田工芸硝子に入社。
ガラス工芸の技術を学び、その後退社し独立。
1960年以降は東京・横浜・京都・大阪などの高島屋を中心に毎年個展を開催。
70年代後半からは海外での評価も高まり西ドイツ、デンマーク、スウェーデン、イギリス、アメリカなどの
各国の美術館・画朗で発表。

内外で多数の受賞歴を持ち日本のガラス工芸を世界レベルに押し上げた巨匠として有名。
当初は薄ガラスによる小皿・小鉢などを製作していたが、
70年代にはいりヴェネッィアガラスを研究し現地にて制作をするようになる。
近年は「手吹き」の技術を確立し色ガラスに金拍を導入し、
日本伝統技法のひとつである琳派を表現している。

宮城県宮城郡に藤田喬平ガラス美術館がある。

岩田久利

岩田久利(いわた ひさとし、1925年(大正4)~1994年(平成6))
東京都出身。ガラス工芸の先駆者岩田藤七の長男として生まれる。東京美術学校工芸部図案科卒。

1939年~44年まで小寺健吉に洋画、42年~44年まで和田三造にデッサン、図案をそれぞれ学ぶ。
50年に東京美術学校工芸部図案科を卒業、その後、東京工芸大学窯業硝子研究室にて研修。
東京美術大学在学中の49年第5回日展にて初入選。
55年第11回展及び56年第12回展にて連続特選を受賞、76年改組第8回日展で文部大臣賞を受賞。
72年、日本ガラス協会を創設して初代会長に就任、79年紺綬褒章、81年第23回毎日美術賞選出、
82年には日本芸術院賞を受賞。

展覧会発表のほか日本橋三越をはじめ各地の百貨店にて個展多数開催、
国内外美術館博物館に作品所蔵多数。

多彩な色ガラスの調和と金銀彩を基調とした作品を制作、
更にセラミックなどの新素材も意欲的に取り入れて独自の美的空間を創作、
花瓶、壺といった鑑賞目的からグイ呑み、グラスといった小作品まで秀作を残す。

印名は「久利」など

石井康治

石井康治(いしい こうじ、1946年(昭和21)~1996年(平成8))
千葉県出身。東京芸術大学工芸科卒。

大学卒業後は東洋ガラスに入社。研究を進める傍らで独自に製作をはじめる。
76年にグループ展に初出品、その翌年に退社して独立。
78年、鎌倉一翠堂での初個展を開催。
以降、全国各地の画廊ギャラリー及び有名百貨店にて個展活動を開始、
85年には西武工芸大賞店特別賞を受賞。
そのほか各種公募展でも積極的な発表を行い78,81,84,87年に日本のガラス展、
82年東南アジア巡回現代日本クラフト展、84年金沢国際ガラス工芸展、
87,91,95年日本のスタジオガラス展、90年NY ART EXPOなどに出品を重ねた。

手吹きガラスで優雅な色彩のコントラストを表現し花器、酒器、(抹)茶碗、棗など製作。

印名は「康治」など

由水常雄

由水常雄(よしみず つねお、1936年(昭和11)~(現在))
徳島県出身 早稲田大学大学院修了

早稲田大学大学院卒業後は、チェコスロバキア政府招聘留学生としてカレル大学に学ぶ。
ガラス工芸史、東西美術交渉史などを研究、その後は各大学などで教鞭をとり、
更に東京ガラス工芸研究所、能登島ガラス工房などを設立する。
近代ガラス工芸研究、指導に尽力を示す。

著書に「図説西洋陶磁史」、「世界ガラス美術全集」などガラス工芸関連書多数。