並河靖之(なみかわ やすゆき、1845年(弘化2)~1927(昭和2))
京都市出身。本名は主税、靖之
川越藩家臣高岡九郎左衛門の子として生まれるが、
青蓮院宮侍臣並河靖全の養子となり並河姓を名乗り、
その家業を受け継ぎ自らも侍臣として仕える。
明治に入ると中国鬼国窯の七宝を研究しその模倣に着手。
1873年、その第一号となる七宝食籠を完成。
1874年、尾張の工人桃井英升(72年より京都で七宝会社を設立)を招いて指導を受ける。
1875年、京都博覧会に七宝花瓶を出品、有功銅賞を受賞して本格的な七宝制作に乗り出す。
翌年にはその技術の高さを認められて横浜のストロン商会と5年間契約を結ぶ。
同年フィラデルフィア万国博覧会に出品、銅賞を受賞。
国内外の博覧会に出品を重ね77年には第1回内国勧業博覧会鳳紋賞牌、
78年パリ万国博覧会銀賞、81年第2回内国勧業博覧会有功二等賞、
88年バルセロナ万国博覧会銀賞、89年パリ万国博覧会金賞、90年第3回内国勧業博覧会妙技一等賞、
93年緑綬褒章、93年シカゴ・コロンブス万国博覧会銅賞、95年第4回内国博覧会妙技一等賞、
1900年パリ万国博覧会金賞、1904年セントルイス万国博金賞ほか多数の受賞を得、高く評価される。
また、1896年には帝室技芸員を拝命している。