小森邦衞 こもり くにえ
1945年~
昭和20年2月18日生まれ
樽見幸作に沈金をまなび、石川県立輪島漆芸技術研修所で赤地友哉から曲輪造、
太田儔から籃胎をまなぶ
竹を編んだ文様と漆の塗りぼかしを組み合わせた作品で、日本伝統工芸展などで受賞をかさねる
日本工芸会理事
平成18年髹漆で人間国宝 石川県出身 本名は小森邦博
小森邦衞 こもり くにえ
1945年~
昭和20年2月18日生まれ
樽見幸作に沈金をまなび、石川県立輪島漆芸技術研修所で赤地友哉から曲輪造、
太田儔から籃胎をまなぶ
竹を編んだ文様と漆の塗りぼかしを組み合わせた作品で、日本伝統工芸展などで受賞をかさねる
日本工芸会理事
平成18年髹漆で人間国宝 石川県出身 本名は小森邦博
小松芳光 こまつ ほうこう
【1903年(明治38年) ~ 1993年(平成5年)】
金沢生 植松包美(1872年~1933年)に師事
1927年に第8回帝国美術院展に初入選
1938年の第2回文展、1946年(昭和21)の第1回日展でそれぞれ特選を受賞
戦後は日展を中心に活躍し、また金沢美術工芸専門学校(現金沢美術工芸大学)の設立に参加して教授となり後進の指導に当たった
1970年退官し、同大学名誉教授となる
1977年加賀蒔絵で石川県無形文化財保持者に認定される
日展参与を勤める
主に動物や植物をモチーフとした 、高蒔絵、研出蒔絵や色漆の作品を製作
1993年 没
黒田宗傳
明治29年 千家十職 黒田正玄家より分家を許され初代が宗傳と号して創業
現在四代目
初代 黒田宗傳
十代黒田正玄の次男として生まれ、1896年に分家して「宗傳」と号した
三代 黒田宗傳
昭和6年、二代宗傳の長男として京都に生まれる
昭和37年三代襲名
鴨 政雄 かも まさお
【1906年(明治39) ~ 2000年(平成12)】
香川県出身東京美術学校金工科・研究科卒
香川県立工芸学校本科を卒業後、東京美術学校金工科(卒業後研究科)に学ぶ
在学中に信田洋らの誘いを受け工人社の結成に参加
高村豊周らが中心となって活動する无型にも出品を重ねるほか1930年に第11回帝展にて初入選となる
金工家鴨幸太郎は実兄
角野岩次 (かどのいわじ 1925年 - 2013年 )
輪島市に生まれる
叔父牧野清吉に師事
豪快さと緻密さを兼ね合わせた沈金技法による重厚な表現の作品を生み出した 日展参与
金城一国斎(7代、きんじょう いっこくさい、1965年(昭和40)~(現在))
広島県出身、本名は池田昭人
初代を祖とし、二代より一子相伝で受け継がれる高盛絵の技法を現代に伝える漆芸家として有名。
初代澤木正平が大坂で漆芸を学び、その後、尾張藩に召され御用絵師となり、
金城一国斎と名乗ったのが初めとされる。
また、伝統の高盛絵の技法は、二代一国斎が考案したものとされ、代々受け継がれている。
また改良研究がなされており、三代の時代になり明治に入ると、各展覧会、博覧会などにも出品し
明治九年の京都博覧会や明治十年の第一回内国勧業博覧会で受賞を重ねる。
また明治天皇御用品の製作等も手がけこの時代の作品には手間、暇、金などを惜しまずに製作されおり、
煙草入れをひとつ製作するのに、一年余の製作日数をかけており、
一般庶民の手の出せない品物となっていたため、主に外国人を取引相手としている。
この時代の作品の美術性が高い事もさることながら、現存が極端に少なく現在、市場においても
高く評価されている。
四代~六代の一国斎にしても、やはり展覧会などを中心として活動し、しばしば慶事があると
広島県からの献上品として皇族に納められた。
特に五代一国斎は、高盛絵のほかに当時の漆芸家の最高峰であった赤塚自得に師事し
金蒔絵の技術を取得し、それまで赤、黒、褐色、緑といった濃色を中心とした高盛絵に金を用いて
華やかさを演出し、その幅や可能性を構築した。
現在七代の昭人氏が日本伝統工芸展などに出品して活躍中だが、高盛絵作品のほかに
彫蒔絵の作品を多く製作し、現代感覚溢れる作風で新たな境地を画策している。
北村昭斎(きたむら しょさい、1938年(昭和13)~(現在))
奈良県出身。
奈良の漆工芸を家業とする北村家に生まれる。
祖父久斎、父大通の下で修行を重ね、蒔絵や螺鈿細工を用いた道具造りを展開しており
伝統技術を継承する傍らで現代的な造形を取り入れた作品を制作。
奈良国立博物館に30年余り文化財の保存、修理に従業しており春日大社の古神宝の修理なども手掛けている。
1999年「螺鈿細工」技術により国指定重要無形文化財(人間国宝)の認定を受ける。
印名は、「南都昭斎」「昭斎之印」「昭斎」「先種庵」など
川之辺一朝(かわのべ いっちょう、1830年(天保元年)~1910(明治43))
室町時代からなる漆芸蒔絵の幸阿弥派を受け継ぐ最後の漆工。
幕末~明治後期にかけて活躍、幕末時は将軍家の婚礼、祭事などの際に蒔絵調度品を製作。
明治維新後は宮内省の御用を務め、ウイーン万国博をはじめ内外の博覧会などに出品。
東京美術学校より招聘を受け白山松哉の代行教諭として後進の指導に尽力。
1896年に蒔絵技法で帝室技芸員を拝命する。
印名は「一朝」など
川端近左 6代(かわばた きんさ、1947年(昭和22)~(現在))
大阪府出身。京都市立芸術大学塗装科卒
5代 川端近左の長男として生まれる。
大学卒業後より本格的に父に師事して家業に従業。
日本工芸会近畿支部展や大阪工芸協会展などに一价名義で作品を出品。
2000年に、前年の父の没に伴い6代を襲名。
日本工芸会所属
川瀬表完(かわせ ひょうかん)
京都市出身
江戸末期の京塗師木村表斎を祖とする「表派」の技法を受け継ぐ京塗師で
初代川瀬千太郎、二代繁太郎、三代厚、(現4代当主は三代表完川瀬正)に渡り、
各種茶道具、調度品などの漆製品を主に手掛け、二代繁太郎より「表完」を号する。
川瀬 厚(二代東山表完)(1933~2007年) 父初代表完(繁太郎)に師事。
日展、日本新工芸展、京都工芸美術展などに出品を重ねた。
現在は全国各地の百貨店を中心に個展にて発表。
京漆器伝統工芸士会会長、京都漆芸家協会会員、京都美術作家協会会員。
溜塗、木地溜塗、一閑塗、布摺塗などの伝統技法を守りながらも現代的な造形や文様を取り入れた茶道具造りを展開。
印名は「表完」など