安政5年(1858年)~明治元年(1868年)
後藤家は室町幕府の時代から御用達彫金師として仕え、織田信長、豊臣秀吉の刀剣装身具、大判鋳造の御用達も務めた。
関ヶ原の戦い以降は徳川家康にも仕え、大判の鋳造と墨判および両替屋の分銅の鋳造を請負った。
後藤 典乗は17代目
安政5年(1858年)~明治元年(1868年)
後藤家は室町幕府の時代から御用達彫金師として仕え、織田信長、豊臣秀吉の刀剣装身具、大判鋳造の御用達も務めた。
関ヶ原の戦い以降は徳川家康にも仕え、大判の鋳造と墨判および両替屋の分銅の鋳造を請負った。
後藤 典乗は17代目
(かもした しゅんめい、1915-2001)
1915年 東京に生まれる
高等小学校卒業後、伯父であり江戸金工の流れを汲む彫金家・桂光春に師事
1940年 独立し、戦後は日展や日本工芸展、日本伝統金工展、伝統工芸新作展などに小金具などを中心に出品
1999年 重要無形文化財「彫金」保持者に認定
2001年 勲四等瑞宝章
2001年 逝去
1944生
長年に亘り練馬区に在住し制作を続けている、人間国宝に認定された金工作家
江戸時代初期から続く彫金の一派、柳川派の流れを汲み、明治・大正・昭和期にかけて、煙草入れなど装身具の彫金で大人気を博した二代豊川光長、桂光春を輩出した流派
伯父である光春を継いだのが盛仁の父、桂盛行(かつら もりゆき/1914~96)
父、盛行のもとで修行した桂盛仁は、打ち出しや彫金、象嵌、色絵等の技法を駆使し、日本伝統工芸展などで高い評価を得、
宮内庁買い上げ、文化庁長官賞を受賞するなど研鑽を積み、2008年に重要無形文化財「彫金」保持者(人間国宝)に認定
明治〜昭和期の彫金家
生 明治4年9月3日(1871年)
没 昭和37(1962)年8月31日
明治15年から彫金家豊川光長のもとでに彫金を学び、27年明治天皇銀婚式に東京市から献上の御物を師の光長と共に制作した
万博にも数多く出品し、死後尚、国内外での評価を高めている
大阪府生まれの日本の日本刀名匠。本名は月山清。
鎌倉時代から続く刀工一族の後裔で800年の歴史を誇る月山派の伝統を受け継ぐ。
大阪月山家の5代目として綾杉鍛え(あやすぎきたえ)や月山彫を継承。
1982年 無鑑査(刀鍛冶の最高位)認定。1995年 全日本刀匠会会長就任(現 顧問)。2003年 奈良県指定無形文化財保持者に認定。
1946年 人間国宝 月山貞一の三男として大阪に生まれる
1969年 大阪工業大学建築学科卒業
1975年 高松宮賞受賞記念、刀匠月山貞利展(大阪にて)開催
1979年 刀匠月山貞利展(大阪にて)開催
1982年 新作刀展で名槍日本号模索出品し無鑑査に認定 ボストン美術館での「日本の人間国宝展」で師に同行
1983年 刀匠月山貞利展(大阪にて)開催
1984年 月山一門展開催(大阪にて) 第61回伊勢神宮式年遷宮御料太刀7振(師との合作含)鉾3振謹作。
1988年 大阪市立博物館「出羽三山と月山刀匠展」出品 ボストン美術館に於いて「月山歴代とその伝統展」開催
1989年 奈良県立文化会館「八百年の伝統月山歴代展」開催。
1990年 刀匠月山貞一・貞利展(東京日本橋髙島屋)開催
1993年 刀匠月山貞利展(東京日本橋髙島屋)開催
1994年 刀匠月山貞一・一門展(大阪にて)開催
1995年 奈良県桜井市芽原に月山記念館開設 全日本刀匠理事長就任
1997年 奈良県桜井市無形文化財保持者指定 刀匠月山貞利展(東京日本橋髙島屋)開催
2001年 刀匠月山貞利展(日本橋髙島屋)開催
2003年 模国宝春日若宮社御料太刀謹作 奈良県指定無形文化財保持者認定 奈良新聞文化賞受賞
鹿島一谷(かしま いっこく、1898年(明治31)~1996年(平成8))
東京都出身。
代々金工を業とする家系に生まれ、祖父の2世一谷斎から家伝の布目象嵌の技法を学ぶ。
また関口一也・真也父子の下で彫金技法を習得。
父が早くに没した為に1918年( 20歳のとき)に独立。
1928年、第10回帝展に初入選。以来、帝展、新文展に出品を重ねる。
戦後は日展にて活躍。
1955年、日本工芸会設立に際して正会員に迎えられる。以降、伝統工芸展にも多数入選を重ねた。
宮内庁の依頼品「菊菱地柳鷺紋飾壺」製作、唐招提寺国宝「金亀舎利塔」、
山形県若松寺重文「金銅観音像懸仏」などの保存・修復に従事するなど高い技術で活躍を示す。
1979年、国指定重要無形文化財(人間国宝)の認定を受けた。
作品では格調高い優美な作域で花瓶、香炉、花器、レリーフのほか
水滴、文房具、水注など小さな作品にも秀作を残す。
印名は「一谷」など
加納夏雄(かのうなつお) 文政11年(1828)~明治31年(1898)
幕末・明治の彫金家。京都生まれ。
江戸に出て、独力で大成。明治2年(1927)、帝室御用達となり明治天皇の太刀の装具を彫刻。
明治前期を代表する作家と評される。維新後、金・銀貨、勲章の原型を製作。
明治22年(1889)東京美校教授、帝室技芸員。
代表作「月雁(つきにかり)図鉄額」
香取秀真(かとり ほつま、明治7年(1874)1月1日~昭和29年(1954)1月31日 81才没)
日本の鋳金工芸作家。金工の人間国宝である香取正彦は長男。
1896年、東京美術学校鋳金科を卒業し、1900年、パリ万国博覧会で銀賞碑。
1933年、東京美術学校教授、芸術院会員。1953年、日本における美術の工芸家として初の文化勲章を叙勲、文化功労者となる。
『日本金工史』『金工史談』『日本鋳工史』など学術著書を著し、 金工(金属工芸)を美術として社会的に認知させる努力をした。
学問としての金工史を確立し、研究者としても優れた。
香取 正彦(かとり まさひこ、明治32年(1899)1月15日~昭和63年(1988)11月19日 88才没)
鋳金工芸作家。香取秀真の長男として東京小石川に生まれる。
東京美術学校(現在の東京芸術大学)の鋳金科に入学し、主任教授津田信夫の指導を受ける。
卒業後(1925年)、パリ万国装飾美術工芸博覧会(「アールデコ万博」)に「苺唐草文花器」を出品し銅牌を受賞。帝国美術院展覧会1930年から3年続けて特選、帝展無鑑査となる。
終戦後は戦争中に供出された仏具・仏像などの文化財修理・保護に尽力し、
比叡山延暦寺、成田山新勝寺、広島平和の鐘(1967年)を手がける。
1953年(昭和28年)、芸術院賞。
1977年(昭和52年)、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。
1987年(昭和62年)、日本芸術院会員に推挙される。
金森映井智(かなもり えいいち、1908年(明治41)~2001年(平成13))
富山県出身。富山県立高岡工芸学校彫金科卒。
卒業後より、金工家内島市平に師事。
1933年、帝展に初入選。以後、新文展、戦後は日展に出品を重ねる。
1941年、母校高岡工芸学校彫金科の教諭、
48年より富山県立高岡工芸高等学校教諭として後進に指導。
1956年に日本伝統工芸展に初入選。76年第23回日本伝統工芸展にて日本工芸会総裁賞を受賞、
80年に勲四等瑞宝章、81年には日本工芸会理事に就任する。
1989年、彫金技法により国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定。
高岡銅器の伝統的技術の一つである浮象嵌を効果的に使用し
縦縞模様や幾何学的な文様を取り入れた現代的な花器を中心に製作。
刻印は、「映井智」「重要無形文化財保持者」 「栄一刻」など