千代鶴是秀(ちよづるこれひで 1874~1957、84歳没)
本名を加藤 廣。米沢藩代々の刀匠の家系を受ける、七代加藤長運斎綱俊の孫。 不世出の名鍛冶。
鉋と言う道具でありながら“用の美を持つ美術的作品”にまで高めた人で、刀で言えば正宗と言った所。従って高額な名刀並みの価格で現在販売されている。
刀匠の家系である叔父の七代運壽齋石堂是一に師事。
叔父に当たる八代目石堂寿永(八代目石堂是一)からは刃物鍛冶の技術を学んでいる。
十九歳の頃から既に「千代鶴是秀」という鍛冶名を決めていたが、
やがて関東一円はもとより関西方面にもその名は名人として鳴り響くようになる。
その作品の種類は幅広く、深い探究心とそれを具現する技術に支えられ、
鑿、鉋は勿論のこと、切出し小刀、玄翁、彫刻刀、鋏、刳小刀、剃刃等
それぞれ第一人者よりもむしろ巧く作っている。
妥協を許さない丁寧な仕事ぶりと、確かな造型の技術とセンスとによって
造られた作品からは品格というものが滲み出ている。
当時一般的に市販されていた是秀の鉋には銘として
「藤四郎」、「是秀」、「夕陽山」、「毛六」、「春の湖」、「渓間の華」、
「花吹雪」、「春駒」、「延壽」、「瑞雲」、そして「あしたの夢」など詩的想像力をかき立てる美しい切り銘 の鉋があります。