林正太郎

林正太郎 (はやし しょうたろう 1947年~)

1947年 岐阜県土岐市生まれ
1967年 兄・孝太郎に師事
1971年 朝日陶芸展知事賞受賞
1972年 日本伝統工芸展初入選 朝日陶芸展優秀賞受賞
1973年 朝日陶芸展 ’73賞受賞
1974年 独立 中日新聞社新人賞受賞
1993年 「加藤幸兵衛賞」受賞
1994年 美濃陶芸大賞受賞
1997年 庄六賞受賞、岐阜県芸術文化特別奨励
2002年 土岐市無形文化財保持者に認定

平田宗幸

1851-1920

明治-大正時代の鍛金家
嘉永(かえい)4年3月13日生まれ
家は代々鍛金を業とする 江戸の平田家6代三之助にまなぶ
明治28年から東京美術学校(現東京芸大)につとめ、大正7年教授となる
帝室技芸員

平田宗幸

1851-1920

明治-大正時代の鍛金家
嘉永(かえい)4年3月13日生まれ 家は代々鍛金を業とする
江戸の平田家6代三之助にまなぶ
明治28年から東京美術学校(現東京芸大)につとめ、大正7年教授となる
大正9年2月24日死去

秦蔵六

秦蔵六(はた ぞうろく、6代、1952年(昭和27)~(現在))
京都府出身。五代の子。師は五代蔵六。

初代蔵六が、山城(京都南部)から今日に上がり当時鉄瓶製作の大家であった龍文堂(二代)に
鋳金技術を学びさらに中国(漢・周)の銅器を独自に研究し独立。
孝明天皇の御印、将軍徳川慶喜の黄金印をてがけ明治期には宮内省の命により
明治天皇御璽・大日本国璽(印鑑)を製作し名声を得た。
以降各代研究、模索を続け現代に号・蔵六と鋳金技術を一子相伝で伝えている。
蔵六銅器の特徴は中国の青銅器写しであるが、ところどころに金箔を張った作品が多く見られ、
それは時代経過と共に金箔がはがれている様を表している蔵六独特の意匠であり高く評価されている。

畠春斎

二代目 畠春斎(はた しゅんさい、1944年(昭和19)~2007年)

父初代畠春斎の下茶の湯釜を制作し1971年に日本伝統工芸展初入選。
以降現在まで同展を中心に出品し入選27回を数え、73年日本伝統工芸展奨励賞、
78年日本伝統工芸展日本工芸会長賞を受賞。
父の歿に伴い82年に2代春斎を襲名。

他、79年に日本金工展文化庁長官賞、92年に伝統工芸保持者選賞など。

当初は無地紋や霰(あられ)紋といった伝統の茶の湯釜を製作していたが
次第に独自に造形力を発揮。
現代感覚にあった斬新な作品を残し特に線状紋の研究には余念がなかった。

印名は「春斎」 「貮代春斎」 「畠重男印」 など

蓮田修吾郎

蓮田修吾郎(はすだ しゅうごろう、1915年(大正4)~ 2010年)
石川県出身。東京美術学校工芸科鋳金部卒

東京美術学校にて高村豊周に学ぶ。
戦時中は出兵となり主だった展覧会出品などは戦後からとなり1949年代5回日展にて初入選。
以降日展を中心に出品。
1951年特選・白寿賞、53年北斗賞、59年の文部大臣賞の受賞を経て62年に日本芸術院賞に選出。
在学中より従来の鋳物的な工芸ではなく新しい金属造形を模索し独自の浮彫り技術を確立。
作品は工芸品の枠を出た空間芸術にも創作意欲を出しその発表の場として78年に金属造型作家展を創設。
代表作に北方領土返還モニュメント「四島のかけはし」がある。
また同展を基盤としてドイツの造形作家らと交流を深め技術を提供、
82年にはドイツ連邦共和国功労勲章1等功労十字章を受章された。
国内では87年に文化功労者に認定、91年に文化勲章を受章した。

印名は「修吾郎」 「修吾郎印」 「修」など