坂 高麗左衛門 10代(さか こうらいざえもん、1890年(明治23)~1958年(昭和33))
本名は秀輔
豊臣秀吉の朝鮮出兵に伴い、当時の中国一帯を治めていた毛利輝元が、朝鮮より帰国する際に
連れ帰った陶工で、はじめ坂田を名乗っていたが後に坂に改姓。
輝元が萩に移封後、2代萩藩主毛利綱広候より高麗左衛門を拝領し、現在まで続く
坂高麗左衛門の10代目。
10代高麗左衛門は兄の早死により家業を継承、父の没に伴い、1921年に10代を襲名。
1943年に萩焼工芸技術保存者に認定されている。
陶印は「高麗左衛門」「韓峯」