田辺竹雲斎(たなべ ちくうんさい、1877年(明治10)~1937年(昭和12))
兵庫県出身
尼崎の元尼崎藩松平氏の医学者の家に生まれる。
幼少のころに、近所に竹細工業を営む家があり、次第に竹細工に興味を持ったのがはじめで、
12歳の頃に当時の竹細工で名工と謳われた初代和田和一斎に師事。
22歳の頃に和一斎の別号であった竹雲斎を受ける。
1903年には第五回内国勧業博覧会にて三等賞銅牌を受賞。
以降、商工展三等、勧業博覧会入選など各展覧会で活躍。
また、その一方で工房を築いて、ドイツを中心にヨーロッパ諸国への輸出を開始。
国内外で竹雲斎の名を示した。
作品では、江戸中期の文人画家の代表格である柳沢里恭(柳里恭)の画く
唐物花籠の自由奔放さに感嘆し、既存の竹工芸の伝統に縛られない作域で
「竹雲斎柳里恭様式」を創造。
そのほか古い矢竹を用いてその独特な漆や金箔、螺鈿など様々な装飾を作品の一部として
組み合す事で唯一無二の作品を造り出した。
印名は「竹雲斎」など