角谷一圭

角谷一圭(かくたに いっけい、1904年(明治37)~1999年(平成11))
大坂府出身。

角谷家二代として生まれ年少時より父に学び鋳物の製作を手掛る。
21歳時に大坂府工芸展に鉄瓶を出品し受賞となる。
それ以後本格的に家業を継ぎ、鉄瓶、茶釜などの茶道具を製作。
昭和48年と平成5年には、伊勢神宮式年遷宮御神宝鏡の白銅製三十一面を二度にわたり製作し
その名を示した。

勲四等瑞宝章、高松宮総裁賞、朝日新聞社賞など多数受賞。

印名は、「角谷」「角谷之印」「一圭」など

香川勝広

香川勝広(かがわかつひろ 嘉永6年(1853)~大正6年(1917) 65才没)
江戸下谷生まれ。

12歳で、能面師 有吉吉長に木彫を学び、柴田是真には絵画を、野村勝守には彫金を学ぶ。
美術・工芸作家の顕彰制度である帝室技芸員(ていしつぎげいん)の加納夏雄の弟子となる。
明治31年、東京美術学校の教授となる。
明治39年、帝室技芸員に任命され、正八位に叙される。

奥山峰石

奥山峰石(おくやま ほうせき、1935年(昭和10)~(現在))
山形県新庄市出身。

鍛金家の佐原宗峰、次いで田中光輝に師事。
日本伝統工芸展ほか工芸展に出品。
1984年、伝統工芸日本金工展にて文化庁長官賞を受賞、同年日本工芸会正会員に認定される。
1989年、日本伝統工芸展高松宮記念賞受賞をはじめ多数の受賞を重ねる。
1995年、鍛金技術で国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定、97年には紫綬褒章を受章。

銀板をすばやく打ち出して現代感覚溢れるシャープで斬新な造形を生み出して
酒器、花瓶、銀瓶、器物のほか香合、建水などの茶道具に秀作を見せる。
またそうした作品に象嵌、鑞流、金消といった技法で装飾を施し格式の高さも演出している。

印名は「峯石」(「峰石」)など

岡崎雪聲

岡崎雪聲(おかざき せつせい、1854年(安政元年)~1921年(大正10))
京都府伏見出身

京都伏見の釜師定甫の子としてうまれる。
釜製作の技法を父より学んだが、家業を継がずに上京、鈴木長吉の下で鋳造技法を師事。
また、関西古寺院の仏像について調査研究を行い、1890年には東京美術学校に勤務。
96年に同校教授として後進の指導・育成に努めた。

代表作に「楠公銅像(東京美術学校制作鋳造担当)」など。

サインは「雪聲刻」など

大須賀喬

大須賀喬(おおすが たかし、1901年(明治34)~1987年(昭和62))
香川県出身。東京美術学校金工科卒。

香川県立工芸高校卒業後、1919年に上京、金工家の北原千鹿に弟子入り。
翌年、東京美術学校に入学、在学中の23年に師、北原千鹿らの光炉会に参加。
同校卒業後は27年に千鹿らと共に工人社設立に参加、以降、同人として出品を重ねた。
官展では29年第10回帝展に初入選したのを期に以降毎年入選、33年第14回帝展では特選を受賞。
身近な自然生物や昆虫、植物をモチーフにした写実的造形には定評があり、象嵌技術も得意とした。

刻印は「喬」(「高」)など

大澤光民

大澤光民(おおさわ こうみん、1941年(昭和16)~(現在))
富山県出身。富山県立職業補導所銅器科卒。

富山県立職業補導所銅器科を卒業後は、越井製作所に勤務。
1969年、大澤美術鋳造所を設立して独立。
1947年、通産省伝統工芸士の認定を受ける。
1980年、独自の研鑽より異種材料や部材を複合化する「鋳ぐるみ」とされる鋳造技法を創案。
1984年、第14回日本金工展にて東京都教育委員会賞、
同年第31回日本伝統工芸展日本工芸会奨励賞を受賞、以降も両展を中心に活躍。
1999年、第29回日本金工展日本工芸会賞、第47回日本伝統工芸展高松宮記念賞の受賞。
2004年、厚生労働省より現代の名工表彰。
2005年、国指定重要無形文化財(人間国宝)の認定を受ける。

日本工芸会正会員

大島如雲

大島如雲(おおしまじょうん) 安政5年(1858)~昭和15年(1940)鋳金師大島高次郎の子として江戸小石川に生まれる。
通称は勝次郎。鋳金作家。江戸生まれ。
父である大島高次郎に師事。明治10年、家業を継ぎ如雲を名乗る。
明治20年~昭和7年まで東京美術学校の教鞭をとる。
蝋型鋳造法に長じ、精緻な作品を残す。
濡れ獅子図丸額、鯉図細口花瓶、雨中狸図額、龍図板などが東京藝術大学大学美術館に収蔵されている。

海野勝珉

海野 勝珉(うんの しょうみん 天保15年(1844)-大正4年(1915年)72歳没。
明治の彫金家。号は芳洲・藻脱軒。
萩谷勝平・叔父の海野美盛(初代)、雁金守親に師事。
廃刀令以降、装剣金具から、家具装飾・携帯品の彫金を行う。
1891(明治24)東京美術学校教授。1892(明治25)帝室技芸員。
代表作に「蘭陵王舞楽置物」「二名匠之碑」

海野清

海野清(うんの きよし、1884年(明治17)~1956年(昭和31))
東京都出身。海野勝眠の子。東京美術学校卒

東京美術学校卒業後、そのまま同校に助手として在籍。
1919年、助教授、32年、教授に就任。後進の指導にあたる。
自らも作品制作を進め1928年第9回帝展にて特選を受賞。

戦後は47年に帝国芸術院会員、49年東京藝術大学教授、51年文化財専門審議会専門委員に
それぞれ就任し55年「彫金」技術により国指定重要無形文化財(人間国宝)の認定を受ける。
海野勝眠を父に持ち、父から学んだ古典技法を踏まえながらも現代的な造形で風格と格式の高さを展開。

刻印は「清刀」など

魚住為楽

魚住為楽(うおずみ いらく、1886年(明治19)~1965(昭和40))
石川県出身。本名は魚住安太郎(やすたろう)

仏具師の山口徳蔵に弟子入り、仏壇製作の傍らで銅鑼の研究を開始。
1935年、金工家の香取秀真に師事。
同年より帝展を中心に製作発表をする傍ら38年には法隆寺夢殿厨子の修理に参加。

戦後になると各展覧会への出品と受賞が続き次々と名品を製作。
49年現代美術展最高賞、52年第6回金沢文化賞、北国文化賞を経て
55年、銅鑼技術により国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定。
62年石川県産業工芸展知事賞、64年に勲四等旭日小綬章を受賞した。
他の工芸品と違い基本的に使用目的を重視して卓越した音感により
音色、余韻の研究に没頭、砂張と称される地金を用いて音響に重厚感を与え、
また造形においても合金、鋳造、熱処理など各技法を熟練、高い技術力を示した。

印名は「為楽」