長岡空處

長岡空處(ながおか くうしょう、1898年(明治31)~1961年(昭和36))
鳥取県出身。本名は秀三

楽山焼9代の長岡空味の姉の子として生まれた。
後に、空味の養子となって補助の傍らで作陶を学び、その後、茶陶を中心とした本格的な製陶を開始。
1960年空味の没に伴い、楽山焼10代及び6代長岡住右衛門を襲名する。
しかし、その翌年に63歳にて急逝した為、作品数は少ない。

陶印は「空處」 「樂山」(「楽山」)など

徳田八十吉

徳田 八十吉(とくだ やそきち)は、九谷焼の陶工の名前である。2005年5月現在は三代目。
初代八十吉から受け継いだ古九谷の色を基に工夫を重ね、色のグラデーションの微妙な変化やコントラストの美しさを特徴とする彩釉の技法で人間国宝に認定されました。

昭和33年(1958) 第1回一水会陶芸展初入選
昭和52年(1977) 日本伝統工芸展総裁賞
平成2年(1990) 国際陶芸展グランプリ受賞
平成5年(1993) 紫綬褒章受章
平成9年(1997) 彩釉磁器にて重要無形文化財保持者に認定

塚本快示

(つかもと かいじ、1912年(大正元)~1990(平成2))
栃木県出身。

土岐市の代々200余年に渡り中国定窯風白磁を継承する製陶家7代塚本源右衛門の子として生まれた。
幼少期より製陶に強い関心を持ち高等小学校卒業後、父の作陶を補佐。

戦後は日根野作三にしてクラフト運動を展開。
1948年ごろに中国陶磁器の研究で知られる小山冨士夫の知遇を受け
更なる中国宋時代の青磁、白磁、青白磁の研究、本格的な技術研究に従事。
61年にはクラフト精神を生かした作陶で通産省グッドデザイン表彰、
63年の初入選以来日本伝統工芸展へ出品を中心に活躍。
64年にはアメリカ・カリフォルニア博覧会にて金賞。
73年岐阜県重要無形文化財認定、77年紫綬褒章、79年日本陶磁器協会賞、
80年中日文化賞など多数の受賞を経て83年に中国宋時代の定窯白磁、景徳鎮青白磁の
技術保存者として国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定。
中国磁器の持つ神秘的な美しさと日本的な優美さを併せ持つ発色で、
卓越された箆技術で施された彫花紋により装飾性を表出、格調の高い作域を示している。
さらに快山窯によるクラフト精神を生かした日用食器などの製作においても
氏の芸術世界を堪能することが出来る。
子息に塚本満氏がいる。

鑑定人・鑑定機関

東美鑑定評価機構
〒105-0004 東京都港区新橋6-19-15
Tel:03-3432-0713

高野昭阿弥

高野昭阿弥(たかの しょうあみ、1905年(明治38)~)
京都出身。師は柴田如阿弥。
本名は綱一(つないち)。号は昭阿弥、別号)和樂庵(和楽庵)

京都五条坂の陶工柴田如阿弥に師事する。
1930年頃に師より昭阿弥の号を受け、今熊野に開窯、独立。
以降、祥瑞写や赤絵、染付を中心に煎茶器、抹茶器を製作する。

陶印は「昭阿弥」 「和樂庵」(「和楽庵」) 押印「昭阿弥」 釘彫/描印「平安昭阿弥」 など

寺池静人

寺池静人(てらいけ しずと、1933年(昭和8)~(現在))
京都市出身。陶芸家の寺池陶秝(秝はノ木偏でなく火偏)を父に持つ。
京都市立日吉が丘高校彫刻科卒

父の薫陶を受けて陶芸家としての研鑽を積む。
1953年、青陶会に結成同人として参加し以降、主催者の楠部弥一に師事。
1955年、第11回日展にて初入選。
以来、日展に出品を重ねる。75年改組第7回展にて特選、90年同22会展にて会員賞を受賞。
1974年、バロリス国際陶芸ビエンナーレ展にて名誉最高賞を受賞。
日本新工芸展においても81年に会員賞、94年に文部大臣賞を受賞。
父は色絵磁器を最も得意としたが、その作域は踏襲せずに
自然の花の美しさをモチーフにその美しさを釉薬と轆轤形成により
器そのものに華をイメージさせる現代的な感性を発揮して茶器、花瓶、香炉、食器など作風の幅も広い。

陶印「静人」など

田原陶兵衛

田原陶兵衛 12代(たわら とうべい、1925年(大正14)~1991年(平成3))
山口県指定重要無形文化財。日本工芸会理事、裏千家淡交会役員。

10代田原高麗陶兵衛の次男として生まれる。
父や兄(11代田原陶兵衛)に陶技を学び、家業に従事するが戦時中は出兵となる。
戦後は本格的に作陶を行い、1956年に兄の死去に伴い、12代田原陶兵衛を襲名。
田原家伝統の技法に加え、独自の高麗・朝鮮陶器の研究、裏千家流茶事の造詣を深め茶陶中心に制作。

歴代田原家の作風である、温和な柔らかい肌色の釉薬を用いて素朴さ素直さを表現した「陶兵衛萩」を
よく継承し、裏千家宗匠好みのものをよく造った。
粉引、灰被の技法にも優れ、1981年には山口県指定重要無形文化財に認定された。

陶印は「陶兵衛」

高内秀剛

高内秀剛 (たかうち ひでたけ、1937年(昭和12)~(現在))

陶芸を志して独学にて陶技を習得し1968年に益子に開窯。
1972年、日本伝統工芸展に初入選となり以降、同展や日本陶芸展、現代日本陶芸展などに入選。
80年、バロリス国際陶芸展に出品して文化芸術協会賞を受賞。
83年ジャパンセラミックストゥデイ
(於ワシントンスミソニアン、ロンドンヴィクトリアアルバート美術館)に出品するなど国内外で活躍を示す。
89年に栃木県文化奨励賞を受賞、以降も国内外の公募展を中心に作品を発表。
個展でも日本橋三越、大阪高島屋、東京セントラル美術館、
ギャラリー寛土里地(かんどり)などで度々開催し高い評価を受けている。
織部、灰釉、象嵌などを中心に篇壺、鉢、花瓶、皿など現代的な器形で
抽象的な表現を交えて作陶を展開する。

手塚石雲

手塚石雲(てづか せきうん、1942年(昭和17)~(現在))
京都市出身。本名は充

京焼名工手塚玉堂を父に持ち、父の下で陶技を修得。
1972年に山科清水焼団地に勧修寺窯を開窯、独立する。
以降、京都高島屋中心に全国の百貨店個展にて作品を発表。
また、2001年には大徳寺官長高田明浦老師より、窯名「花蝶窯」を拝命し改名。

作域は端整で優雅な京焼の伝統を重視した仁清写や安南写で茶碗、水指、皆具揃など茶陶を中心製作。

陶印は「充」(「克」) 「石雲」 「勧修寺窯」 など

田村耕一

田村耕一 (たむら こういち、1916(大正7)~1987年(昭和62))
栃木県出身。

1941年、東京美術学校を卒業。その後はしばらく教師として大阪に勤務。
この頃より陶芸に興味を持ち始めていたが召集により辞職。
戦後は京都にて富本憲吉に作陶の技術を学んだのち地元に帰郷。
48年、栃木県佐野の赤見焼の創設に参画。同年第二回栃木県芸術祭に出品、
これが浜田庄司に認められ、50年には、栃木県窯業指導所技官となる。
また53年、独自に開窯し本格的な作陶を開始、56年現代日本陶芸展で朝日新聞社賞及び
松坂屋賞、57年日本陶磁協会賞、以後受賞多数。
陶芸作家としての確固たる地位を確立し、86年に鉄絵にて重要無形文化財指定の認定を受ける。

当初は柿釉、黒釉、黄褐釉といった伝統的な鉄釉に鉄絵にて絵付けを施した作品制作していたが
1970年代ごろより辰砂釉、青磁作品にも鉄絵の技法を展開。

陶印は、「田」「耕」など

高橋道八

京焼(清水焼)の窯元の一つで、陶芸家の名跡。江戸時代後期より作陶に携わり、特に茶道具、煎茶器の名品を輩出し続けてきた。当代は8代目。

8代目は京都市立日吉ヶ丘高等学校美術科卒業後、京都府訓練校にて轆轤成形、京都市工業試験場にて釉薬を学ぶ。父・七代道八に師事。
昭和58年(1983年)に襲名。