小川破笠

小川破笠(おがわ はりつ、1663年(寛文3)~1747年(延享4))
伊勢の人。本名は観。号は笠翁、卯観子、宗宇、夢中、他

破笠細工の創始者。
貝、陶器、牙角、等に蒔絵と象嵌を用いて繊細な作風を主とした。

また、画や俳諧もよくし、それぞれ英一蝶(画)・松尾芭蕉(俳諧)に学んだ。
作品は、群馬県立近代美術館、熊本県立美術館、石川県七尾美術館などに所蔵されている。

印名は「観」「宗宇」「卯観子」など

太田儔

太田儔(おおた ひろし、1931年(昭和6)~(現在))
岡山県出身。岡山大学教育学部特設美術科卒。

岡山大学教育学部で磯井如眞の指導を受けその後内弟子となって約11年間師事。
1965年日本伝統工芸展初入選、以後多数入選、75年81年に文部大臣賞、
86年、90年に保持者賞を受賞。
91年 東京・大阪・岡山高島屋で個展開催、92年第5回MOA岡田茂吉賞展大賞を受賞。
香川のキンマ塗や存星、藍胎の技法を用いた作品を展開。
94年 重要無形文化財「蒟醤」の保持者に認定。

印名は「儔」「太田儔」「居山荘主」など

植松包美

植松包美(うえまつ ほうび、1872年(明治5)~1933(昭和8))
東京出身。本名は弥太郎。号は抱美、包美、不老斎。

東京の蒔絵師植松抱民の長男として生まれる。
蒔絵技法を父抱民に図案を岸光景に師事したほか尾形光琳、原半遊斎の作品に私淑。
漆工競技会や内国勧業博覧会、帝国美術院展覧会などに出品を重ねる。
明治後期~昭和初期にかけて漆芸部門では赤塚自得と共に双璧と称される。

琳派的な表現を用いた作品を多く残し、茶道具、筆記具、印籠などに秀作を残す。
初期の頃は「抱美」の号を使用していたが後に「包美」に改号、
また晩年の作品には「不老斎」及び「不老斎主人」としている。

印名「包美」など

伊藤裕司

伊藤裕司(いとう ゆうじ、1930年(昭和5)~(現在))
京都市出身。号は洛堂。京都市立美術工芸学校漆芸科卒

1953年に京都市立美術工芸学校漆芸科を卒業。
その後、上京して山崎覚太郎に色漆芸の技法を学ぶ。
同年第9回日展にて初入選、以来日展、日本現代工芸美術展などに出品を重ね
66年第9回日本現代工芸美術展特別賞、66年第9回及び68年第11回新日展で特選、
83年第15回改組日展会員賞などを受賞。
また70年より79年まで漆芸作家集団「フォルメ」にも創立同人として参加。

京都、大阪を中心に個展多数、90年京都府文化賞功労賞、95年京都市芸術功労賞、
2000年文化庁長官表彰(漆芸技術)、2001年林野庁長官賞など受賞。

印名は「裕司」など

池田泰真

池田泰真(いけだ たいしん、1825年(文政8)~1903年(明治36))
江戸赤坂出身。本名は七五郎(幼名)のち久三郎。号は泉哉。

三河国西尾藩士池田新五郎の子として生まれ、幼少のころより絵を描く事を好む。
11歳の頃に柴田是真に内弟子として入門、以来20数年間にわたり是真の下で学ぶ。
補佐として是真を助け墨形塗、青海波塗、青銅塗、砂張塗など漆芸技法の改良にも尽力を示す。

1859年、浅草榊町に独立。
明治以降は73年のウイーン万国博覧会出品以来国内外の展覧会に出品、受賞を重ね
審査員を歴任。また、宮内庁の御用品の制作にも多く携わり96年に帝室技芸員を拝命。

印名は、「泉哉」「泰真」「古満」など

浅野惣三郎

浅野惣三郎(あさの そうざぶろう、1856年(安政3)~1932年(昭和7))
蒔絵師。加賀出身。号は可秀

鶴来又右衛門・高田茂三郎より加賀蒔絵の技法を師事した。
明治23年、石川県工業学校美術工芸部描金科助教諭就任し、後進の指導を行なっていたが、
退職後は大阪に移住して、各種展覧会にて作品を発表。

赤塚自得

赤塚自得(あかつか じとく、1871年(明治4)~1936(昭和11))
東京都出身。号は7代平左衛門。

代々漆蒔絵を業とする6代赤松平左衛門の家に生まれる。
家業を継承する為にはじめは狩野久信や寺崎広業に日本画を学び、
また白馬会において洋画の画法を習得。
父の工房の補佐にて蒔絵技術を熟練させて後に7代平左衛門を襲名。
1925年、同じ漆芸家の六角紫水、植松包美や陶芸家の板谷波山、沼田一雅、
鋳金家の香取秀真ら当時作品発表の場を求めていた工芸家有志16名らと共に工芸済々会を結成し、
日本橋高島屋などで展覧会として開催。
1927年、第8回帝展より第四部として工芸部門が新設されると済々会と平行するように出品を重ね
後に帝国美術院会員、帝展審査員にも就任した。

伝統の古式蒔絵と日本画、洋画の技法を交えて優雅さと斬新さを兼ね揃えた作品で
近代蒔絵文化に多大な功績を残し現在でも国内外を問わず賞賛されている。
門下には5代 金城一国斎など。

印名は「自得」など

和田美之助

和田美之助 12代(わだ みのすけ、1941年(昭和16)~(現在))
京都市出身

江戸時代から続く釣鐘鋳造師で、10代美之助より茶釜制作を行う。
和田家に生まれ、12代美之助を襲名、歴代の鋳造技術を踏まえながらも
現代造形を取り入れた作品を制作して、各百貨店、ギャラリー他の個展を中心に作品を発表。
炉釜・風炉釜・風炉・花入・燗鍋・火箸・釜かん・五徳など斬新な作品を制作。

印名は「松庵」など

山田樂全

山田樂全(やまだ らくぜん、1915年(大正4)~)
京都市出身。

父は、漆芸家初代山田楽全。父に師事して、1950年に2代楽全を襲名。
以来、初代の乾漆技法の追及に専念、金銀蒔絵や色漆を用いた雅味とあたたかみのある道具つくりを基本に茶道具を中心に製作する。

作品は、日本橋三越、京都・大阪高島屋など各地の有名百貨店の個展にて発表する。
現在は3代目楽全が活躍中。

印名は「樂全」「樂」など

秦蔵六

秦蔵六(はた ぞうろく、6代、1952年(昭和27)~(現在))
京都府出身。五代の子。師は五代蔵六。

初代蔵六が、山城(京都南部)から今日に上がり当時鉄瓶製作の大家であった龍文堂(二代)に
鋳金技術を学びさらに中国(漢・周)の銅器を独自に研究し独立。
孝明天皇の御印、将軍徳川慶喜の黄金印をてがけ明治期には宮内省の命により
明治天皇御璽・大日本国璽(印鑑)を製作し名声を得た。
以降各代研究、模索を続け現代に号・蔵六と鋳金技術を一子相伝で伝えている。
蔵六銅器の特徴は中国の青銅器写しであるが、ところどころに金箔を張った作品が多く見られ、
それは時代経過と共に金箔がはがれている様を表している蔵六独特の意匠であり高く評価されている。