青木夙夜

青木夙夜(あおき しゅくや、(生年不詳)~1802(享和2))
京都出身、本名は浚明

生家は京都の豪商青木家とされているがその生年は不詳。
自ら、韓国餘章王の後裔と称して余夙夜と称し、
また従兄弟である書家の韓天寿(中川長四郎)を通じて池大雅に入門、
大雅の原本に基づいた画を良く描いたとされているが、
師とはその表現方法が異なり、おおらかな画風を示した大雅に対して、緻密で繊細な画風を示した。
また、師の没後は双林寺内に大雅堂を建設して、その堂守となり2世大雅とも自称した。

印名は「夙夜」 「餘夙夜」 「餘浚」 「餘氏夙夜」 「八岳」 「八岳山人」 「韓国餘章王裔」 「餘浚明」 など

青木大乗

(あおきだいじょう、明治24年(1891)~昭和54年(1979)、87才没)
大阪市に生れる。

1912年、関西美術院で洋画を、京都絵画専門学校で日本画を学ぶ。
1923年、新燈社洋画研究所を開設。
1935年、新燈社解散 日本画に専念。
1937年、結城素明、川崎小虎らと大日本美術院を創立。
1952年、大日本美術院解散 無所属作家として活躍。
1963年、大阪府・大阪市合同の芸術賞受賞。
1970年、勲三等瑞宝章受賞。

初期は克明な写実描写と油絵くの技法も加味し、
晩年は水墨画、大画日本画壇でも異色の存在であった。