横山操

横山 操(よこやま みさお、大正9年(1920)~昭和48年(1973)4月1日 53才没)
新潟県西蒲原郡吉田町に町医者の私生児として生まれる。後、横山家の養子となる。

当初、洋画家を志し上京し、洋画家の弟子となる。師の勧めにより日本画に転向する。
1939年に川端画学校日本画部の夜間部に入学する。

第12会青龍展に『隅田河岸』が入選。その後徴兵・召集される。
そのときの情景や想いなどが、後の横山の作風に影響したとされている。
復員し、帰国する。戦争で中断していた制作を再開。
『赤富士』の連作が人々の人気を集め、一躍有名画家となる。
1963年、新生横山としての第一回個展・越後風景展を開催する。

多摩美術大学日本画科の教授に就任。
作品は煤や石灰などを画面に擦り付け、 力強く轟くような漆黒と、
そこからにじみ出てくるような鮮やかな色が特徴。
見た目には洋画に近い荒々しく力強い日本画を描く。