渡辺省亭

渡辺省亭(わたなべ せいてい、1851年(嘉永4)~1918年(大正7))
江戸神田佐久間町出身。本名は本姓)吉川、幼名)貞吉、名)義復のち政吉。

菊地容斎に師事。狩野派などの諸派の画技を学んだ。
後に、渡辺家の養子となり、日本画を菊池容斎に師事する。
1888年、パリ万国博覧会に出品し銅牌を受賞。海外で日本画に賞を与えられた最初と言われる。
以後、フランスに渡り西洋文学を研究。
帰国後、西洋風の描写を織り交ぜた花鳥図などを中心に描き、シカゴ万国博覧会などに出品。
大正7年4月2日66歳で没。

代表作に、「雪中群鶏図」など。

印名は「省亭」 「菊如史」 など

渡辺小華

渡辺小華(わたなべ しょうか、1833年(天保4)~1887年(明治20))
江戸出身。本名は諧。

渡辺崋山の次男として生まれた。
7歳のころに、父が死亡(しており、その後、父崋山の一番弟子の一人椿椿山について画を学ぶ。
幕末時は、三河田原藩(愛知県)の藩老としても奔走。

明治維新後は、1874年に豊橋に移り画塾を開く。
当時の中部一体から多くの門弟を輩出。
その一方で内国勧業博覧会展、内国絵画共進会展で受賞、明治宮殿の杉戸絵の制作を担当するなど
明治初期~中期にかけて活躍を示し、花鳥、水墨山水、人物などに秀作を残す。

印名は「小華」「小華詩畫」(「小華詩画」)「水月」「對南山」「(対南山)」「眞率家風」(「真率家風」)
「有聲无聲」(有声無声」)「如空居士」など

渡辺崋山

渡辺 崋山(わたなべ かざん、寛政5年(1793年)9月16日~天保12年(1841年)10月11日、49才没)
江戸麹町田原藩上屋敷に生まれる。

1805年、鷹見星皐に入門し、儒学を学ぶ。
1806年、若君元吉(後の康和)のお伽役になる。
1808年、絵師白川芝山に入門する。星皐より華山の号を受ける。
藩主康友に従って田原に滞在する。
1809年、金子金陵に絵を学ぶ。金陵の紹介により谷文晁に絵を学ぶ。
師の文晁に倣って南画をはじめ、様々な系統の画派を広く吸収した。
文晁は、画技のみならず文人画家としての手本となった。
1814年、絵事甲乙会を結成し、画名世に知られる。
1826年、江戸宿舎にてオランダ使節ビュルゲルと対談。この頃から画号「華山」を「崋山」と改める。

代表作としては、「鷹見泉石像」・「佐藤一斎像」・「市河米庵像」などが知られる。
弟子に椿椿山・福田半香などが育った。
学問にも励み、鷹見星皐、後に松崎慊堂から儒学(朱子学)を学び、
昌平坂学問所に通い佐藤一斎からも学んでいる。また、佐藤信淵からは農学を学んだ。