小林一茶(こばやし いっさ、1763年(宝暦13)~1827年(文政10))
信濃国(長野県)出身
農家の子として生まれ、3歳のときに生母と死別。
8歳のときに、継母を迎えるもなじめずに15歳のころに江戸に奉公に出る。
その頃から小林竹阿、溝口素丸、森田元夢らについて俳諧を学び、俳句の道を志す。
29歳の頃に帰郷、以降は近畿、九州、四国など西日本を遊学する。
この間、多くに俳人と親交を重ね、交流句集「たびしうゐ」「さらば笠」などを刊行。
父の没後は、財産分配により継母、弟と十数年間にわたり争い、三度の結婚の間に
三男二女を設けるも妻一人、子4人が早世するなど家庭的には恵まれなかった。
そうした家庭環境をモチーフにした自虐的な句を展開。
そのほか風土と共に生きる百姓的な視点で物事を捉え方言を多用した作品を多く残す。