竹田益州(たけだ えきしゅう、1896年(明治29)~1989(平成元))
大分県出身
11歳の頃に、滋賀県堅田の臨濟宗大徳寺派祥瑞寺大友宗忠について得度。
1915年に、建仁寺の竹田穎川に参じた後、その法嗣となり、竹田姓を名乗る。
また、1918年より祥瑞寺住職に就任。
その後、大徳寺山内塔頭の大仙院住職、大徳寺執事長などを歴任。
1945年建仁僧堂師家となり、54年4月に建仁寺住職、及び建仁寺派管長に就任。
茶道の造詣が深く、多数の自筆書や自作茶杓を残し茶陶器の箱書も多く残す。
印名は「益州」 「益州道人」 「宗進」 など