柳田泰雲(やなぎだ たいうん、1902年(明治35)~1990年(平成2))
東京都出身、本名は伊秀(これひで)
父に柳田泰麓、祖父に柳田正斎という江戸時代後期からつづく書家の家に生まれる。
幼少期より薫陶を受け、1927年日本書道作振会展で最高賞(文部大臣賞)を受賞する。
これを機に、泰麓の後継者になる決意を志して更なる研鑽を積む。
その後、31年には東方書道会の結成に参加し、57年には現代書道20人展の企画を創案、
同展の中心的な立場となり, 第1会展より連続して出品を続けた。
また、学習院の創設や読売書法会の創設にも参加し、現代書道界に多大な貢献を示した。
当初より楷書を極めることにおいて、すべての書体に通ずるとした考えを持っており、
専ら楷書の研究を長年続け、後年に隷書、草書、行書、篆刻へと書風を広げることに成功。
伝統的な書風を継承する一方で、現代的な自由な書風を展開し高い評価を得た。
落款名は「泰雲」「瀬碧山房」など