織田廣喜

織田 廣喜(おだ ひろき、大正3年(1914)~)
福岡県出身。

1939年、日本美術学校西洋画科を卒業。翌年、二科展にて初入選。
1960年、渡仏(以後多数)。サロン・ドートンヌに出品。 第3回国際具象派美術展に出品。
1961年、第42回ピッツバーグ国際現代絵画彫刻展に出品(カーネギー)。
1965年、個展を開催(日動サロン、名古屋日動画廊)。
1994年、福岡市に個人美術館ミュゼーODA開館。
1996年、碓井町立織田廣喜美術館開館。

愛知県美術館賞、総理大臣賞受賞、東郷青児賞受賞、
勲4等瑞宝章を受章、フランス芸術文化勲章「シュバリエ」受賞、芸術院賞受賞。

芸術院会員

幻想的で哀愁を含んだ風景画、少女像を得意とする。

荻須高徳

荻須高徳(おぎす たかのり、1901年(明治34)~1986年(昭和61))
愛知県出身。東京美術学校西洋画科卒

1927年、東京芸術大学卒業後、渡仏。
佐伯祐三らと親交し、サロン・ドートンヌ、サロン・デ・バンタンなどのフランスの各展覧会に出品。
40年、第2次世界大戦のため帰国し、帰国後は新製作協会員に迎えられ、同会に出品。
戦後は48年に再渡仏して、以降はパリを中心に活躍。
ポリピスト絵画賞(53年)、レジオン・ドヌール勲章(56年)などを受賞。
77年にはサロン・ナショナル・デ・ボザール会員に推挙されるなど、パリ画壇から認められた。
日本においても、81年に文化功労者顕彰、没後文化勲章(86年)を受章。

戦時中を除き、画家人生の大半をパリにて過ごしたパリの下町風景の巨匠として有名だが、
氏が帰国しなかったのは、日本の気候が油彩画に適していないと判断した為といわれている。

サインは「Oguiss」など

刑部 人

(おさかべ じん 明治39年(1906)5月5日~1978年3月8日 71才没)
栃木県下都賀郡家中村(現・都賀町家中)生まれ。

川端龍子に日本画を学ぶ。
1929年、東京美術学校西洋学科卒業。
1928年、第9回帝展に「友人の肖像」が初入選。
1931年、結婚し、東京都豊多摩郡落合町大字下落合(現在の新宿区中井)にアトリエを構える。
1943年、文展無鑑査で出品となり、1946年、1947年に日展特選。
1951年、日本橋三越にて第1回個展を開催。以後、計27回開催。
1958年、新世紀美術協会に参加する。

新しい芸術運動の波の中で自分の作風について悩み、
ペインティングナイフのバネの反動を利用して生乾きの絵具を重ねていく。
アクション・ペインティング風の独特の画風を生み出す。

鑑定人・鑑定機関

日本洋画商協同組合鑑定登録委員会
〒104-0061 東京都中央区銀座6-3-2 ギャラリーセンタービル6階
TEL:03-3571-3402
http://www.yokyo.or.jp/jada/judge.html

奥谷博

奥谷博(おくたに ひろし、1934年(昭和9)~(現在))
高知県宿毛町出身。東京芸術大学洋画科卒

高校卒業後画家を志して上京。
1953年、阿佐ヶ谷洋画研究所に学び、次いで55年に東京芸術大学洋画科に進学。
在学中~卒業後も林武教室に所属し、63年よりは助手を務める。
58年、第16回独立展にて初入選となる。以降、同展に出品を重ねる。
64年第22回展にて奨励賞、65年第33回展で独立賞・須田賞、2001年会員功労賞を受賞。
他、83年芸術選奨文部大臣賞、84年宮本三郎記念賞、
95年には「月露」により第18回安田火災東郷青児美術館大賞を受賞。
翌96年に同作品が日本芸術院賞を受賞、同年に日本芸術院会員に就任。

1967年~一年間文部省派遣芸術家在外研修員として渡欧。
71年~73年の間はフランスに滞在して制作しており、この渡欧期間の間で
日本の洋画技術と西洋画との違いを追及し、以来、鮮明な色使いでインパクトのある色彩表現法を
特徴とした風景画や裸婦像などを展開する。
近年は身近な物の中に生と死の境界を見出し幻想的な画風を確立した。

サインは「okutani」など

岡本太郎

岡本 太郎(おかもと たろう、明治44年(1911)2月26日~平成8年(1996)1月7日 84才没)
神奈川県川崎市高津区に生まれる。父は漫画家の岡本一平、母は小説家の岡本かの子。
画家、彫刻家、陶芸家、書家、写真家、民俗学研究家、エッセイスト、ピアニストと多くの分野で活躍した芸術家。

慶応幼稚舎、普通部をへて東京美術学校に入学するが、半年後に中退。
1929年、渡欧。パリで前衛芸術運動に参加し、ソルボンヌ大学で文化人類学を学ぶ。
1940年、帰国。
1942年召集され、中国にて自動車隊の輜重兵として軍隊生活を送る。
1946年に復員、東京都世田谷区上野毛にアトリエを構える。
1948年花田清輝、埴谷雄高らと「夜の会」結成。
翌年、アトリエを青山に移し、現代芸術研究所を設立、「今日の芸術」初版刊行。
1956年旧東京都庁舎に「日の壁」「月の壁」などの陶板レリーフを制作。
1970年代表作となる大阪の日本万国博覧会のシンボル「太陽の塔」制作。
1999年川崎市岡本太郎美術館開館。

東京都港区南青山には岡本太郎記念館、神奈川県川崎市に川崎市岡本太郎美術館がある。

岡本一平

岡本 一平(おかもと いっぺい、明治19年(1886)6月11日~昭和23年(1948)10月11日 63才没)
書家の岡本可亭の息子として北海道函館市元町に生まれる。

東京美術学校西洋画科に進学し、藤島武二に師事する。 漫画に解説文を添えた漫画漫文という独自のスタイルを築いた、 大正期の新聞漫画の第一人者。
大正から昭和戦前にかけて、美術学校時代の同級である読売新聞社の近藤浩一路とともに
「一平・浩一路時代」と評された。

漫画家養成の私塾「一平塾」を主宰。
近藤日出造や杉浦幸雄・清水崑を育てた。

後年は小説にも進出し、「刀を抜いて」は映画化・舞台化が実現された。

妻かの子は小説家、長男は画家の岡本太郎。

岡田三郎助

岡田 三郎助(おかださぶろうすけ、明治2年(1869)~昭和14年(1939)9月23日 70才没)
佐賀鍋島藩の名家であった石尾家に生まれる。

洋画家・曽山幸彦の画塾に入門、曽山の逝去後は堀江正章に学んだ。
1897年に第1回の文部省留学生としてフランスに留学し、ラファエル・コランに師事する。
1902年帰国し、東京美術学校の教授に就任。
1912年に藤島武二と本郷洋画研究所を設立。

女性像を得意とし、日本的な感覚の洋画に秀作を残している。

文展審査員、文化勲章、帝国芸術院会員。

鑑定人・鑑定機関

東美鑑定評価機構
〒105-0004 東京都港区新橋6-19-15
Tel:03-3432-0713

日動画廊内各鑑定委員会
〒104-0061 東京都中央区銀座5-3-16
Tel:03-3571-2553
https://www.nichido-garo.co.jp/appraisal.html

岡田謙三

(おかだ けんぞう、1902年(明治35)~1982年(昭和57))
神奈川県出身。東京美術学校西洋画科

明治学院中等部卒業のち東京美術学校西洋画科で洋画を勉強する。
フランスのグランド・ショミエールに師事する。
昭和4年、二科会展に入選。同14年、奨励賞受賞。
日大美術学部講師就任。後、武蔵野美術大学、多摩美術大学講師を歴任。

また、メトロポリタン美術館常設、東京国立近代美術館買上を得て、
ピッツバーグの国際美術展選考委員に就任、さらに昭和42年には毎日芸術賞受賞を受賞し、
地位を確固のものとする。

サインは「KENZO」など

鑑定人・鑑定機関

日本洋画商協同組合鑑定登録委員会
〒104-0061 東京都中央区銀座6-3-2 ギャラリーセンタービル6階
TEL:03-3571-3402
http://www.yokyo.or.jp/jada/judge.html

岡鹿之助

(おか しかのすけ、明治31年(1898)7月2日 ~昭和53年(1978)4月28日 80才没)
劇評家・岡鬼太郎の長男として東京に生まれる。

麻布中学校2年のときから、岡田三郎助に素描を学ぶ。
1919年、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学。
1954年、最初の個展を開く。

彼の作風を特徴づける点描画法である。
鹿之助はこの技法を用いて、静けさに満ちた幻想的な風景画(雪景色を描いたものが多い)を多く残した。

春陽会会員、芸術選奨文部大臣賞、現代美術日本展最優秀賞、毎日美術賞
日本芸術院賞、日本芸術院会員、文化勲章。

鑑定人・鑑定機関

日本洋画商協同組合鑑定登録委員会
〒104-0061 東京都中央区銀座6-3-2 ギャラリーセンタービル6階
TEL:03-3571-3402
http://www.yokyo.or.jp/jada/judge.html

大久保作次郎

大久保作次郎(おおくぼ さくじろう、1890年(明治23)~1973年(昭和48))
大阪府大阪市出身。東京美術学校西洋画科卒 同研究科修了

旧姓は氏原であったが、叔父の家を次いで、大久保姓となる。
美術学校在学中の1911年、第5回文展にて初入選。
16年の第10回文展から、18年の第12回文展では3年連続して特選を受賞。
以来、文展、帝展、新文展にて活躍を続ける。
23年~27年の間、渡欧して更なる研鑽を深め、帰国後の28年からは槐樹社にも会員として出品。
29年には鈴木千久馬とともに創元会を結成した。

戦後は日展を中心に発表を続ける。
55年、和田三造らと共に、新世紀美術協会の結成にも参加。
60年には(前年の第二回新日展出品作「市場の魚店」により)に本芸術院賞を受賞。
63年には芸術院会員に就任した。

ヨーロッパや国内の風景画や人物画を中心に、温和な筆致と色彩を示した。

サインは「S.Okoubo」など