青山義雄

青山義雄(あおやま よしお、1894年(明治27)~1996年(平成8))
神奈川県出身。

はじめ、1911年に日本水彩画会研究所に入所。大下藤次郎に基本的な画技を師事。
その後、21年に渡欧して、アンリ・マティスに師事する。
フランスから、春陽会展などに出品して、33年に春陽会会員に推挙(翌年には退会)。
35年に帰国して、国画会会員に迎えられ、滞仏作品を出品し、
色彩豊かな作域で注目を集めるようになる。

戦後は、52年の再渡仏以降、日本とフランスを行き来する制作活動を展開して、両国で活躍。

色彩に関しては、マティスより色彩家と評されるほど顔料の研究に研鑽を示して、
風景画、静物などに秀作を残す。

サインは「Y.AOYAMA」

青木繁

青木 繁(あおき しげる、1882年7月13日 – 1911年3月25日)は
日本の明治期の洋画家。

福岡県久留米市に生まれ。

『海の幸』の作者として知られる繁は、
日本やインドの古代神話や聖書などに主題をとりながら、
豊かな幻想を自由にくりひろげた作品は、
この時期のロマン主義文学の興隆に呼応するものとして評価されている。

靉光

(あいみつ、1907年6月24日 – 1946年1月19日)は、
昭和前期(戦前・戦中期)の洋画家。

本名石村 日郎(いしむら にちろう)。
広島県山県郡壬生町(現、北広島町壬生)に生まれる。

初期の作品は、ゴッホの影響をうけていたが、
しだいに表現主義的な傾向を強め、
当時最新の芸術思潮だったシュルレアリスムや、
日本、東洋の古典絵画からも多くの刺激をうけ、
独自の表現をきずいた。

第8回独立展に出品した
「眼のある風景」(出品時の題名「風景」)によって、
独立美術協会賞を受賞。

残された作品数は非常に少ない。

鑑定人・鑑定機関

日本洋画商協同組合鑑定登録委員会
〒104-0061 東京都中央区銀座6-3-2 ギャラリーセンタービル6階
TEL:03-3571-3402
http://www.yokyo.or.jp/jada/judge.html