山本芳翠(やまもと ほうすい、1850年(嘉永3)~1906年(明治39))
岐阜県出身。東京工部美術学校卒
幼少期より画に興味を持ち、15歳で画家を志す。
京都にて久保田雪江に師事した。
その後、横浜にて五姓田芳柳に出会い、洋画の可能性を見出し、フアオンタネージに師事する。
1877年、東京工部美術学校にて学ぶ。
79年にはパリ万博事務局雇い、という名目にて渡欧、本格的な西洋画の画技を習得し、88年に帰国。
帰国後は画塾生巧社、明治美術会などを立ち上げ、後進の指導に尽力。
明治期を代表する洋画家の一人で、後世に多大な影響を与えた。
滞仏作を日本に持ち帰る際に、作品を積み込んだ船が難破しており、
氏の作品はほとんど残っていない。明治39年11月14日56歳で没。
サインは「YH」など