広瀬功

広瀬功 (ひろせこう、大正10年(1921)~平成18年(2006)2月16日 84才没)
神奈川県生まれ。本名は「いさお」。師匠は安井曾太郎。

1946年 東京美術学校油絵科卒業
1946年、日展初入選
1950年、日展特選受賞
1963年、日展審査員
1982年、日展内閣総理大臣賞受賞
1982年、一水会常任理事
1985年、日本芸術院賞受賞
1986年、小山敬三賞受賞

日展参事、一水会常任委員

独特の色彩感覚と独自のマチエールで表情豊かな風景と静物画を描いた。

長谷川潔

長谷川 潔(はせがわ きよし、明治24年(1891)12月9日~昭和55年(1980)12月13日 89才没)
神奈川県横浜市に生まれる。

1912年、本郷洋画研究所にて黒田清輝や岡田三郎助に師事する。
バーナード・リーチからはエッチング技法の指導を受けている。
1916年、永瀬義郎らと「日本版画倶楽部」結成。

1918年にフランスへ渡り、様々な銅版画の技法を習熟。
特にメゾチント(マニエール・ノワールとも)と呼ばれる古い版画技法を復活させ、
独自の様式として確立させたことで有名。
1925年、初の版画の個展を開き、パリで高い評価を得る。
翌年、サロン・ドートンヌ版画部の会員となり、パリ画壇で確固たる地位を築いた。
渡仏して以来、数々の勲章・賞を受けた。一度も日本へ帰ることはなかった。

春陽会会員、日本版画協会創立会員、フランス芸術院コレスポンダン会員。
レジオン・ドヌール勲章受章、サロン・ナショナル・デ・ボザール版画賞受賞。
フランス文化勲章受章、現代日本美術展で特賞受賞、勲三等瑞宝章。

長谷川利行

長谷川 利行(はせがわ としゆき。「はせがわ りこう」とも。明治24年(1891)7月9日~昭和15年(1940)10月12日 49才没)京都府京都市山科区出身。

1911年、「みずゑ」主催の水彩夏期講習会に参加。
1923年、第1回新光洋画展で「田端変電所」が入選。
1925年、第3回大阪藝術展で入選。
1926年、第13回二科展で「田端変電所」が初入選。第7回帝展で「廃道」が入選。
1927年、第14回二科展に「麦酒室」などを出品し樗牛賞受賞。
1928年、1930年協会展に「地下鉄道」などを出品し奨励賞受賞。
1930年、二科展に「タンク街道」などを出品。
1937年、第1回一水会展に「NOANOA」などを出品。

絵は独学だったが非常に速筆で、1~2時間ほどでれっきとした油絵を仕上げてしまう。
自身のアトリエを持たず、「思い立ったら絵を描く」スタンスを生涯続けた。

野口謙蔵

野口謙蔵 (のぐちけんぞう、明治34年(1901)6月17日~昭和19年(1944)7月5日 43才没)
滋賀県蒲生郡桜川村綺田の酒造業を営む家に次男として生まれる。

東京美術学校洋画部に入学。黒田清輝や和田英作に師事しました。
1924年、東京美術学校洋画部卒業後は、郷里の桜川村に戻り蒲生野の風物を
ダイナミックに描き続けました。

途中洋画をやめ、日本画家の平福百穂(ひらふくひゃくすい)に師事したこともあった。
帝展で3度特賞に選ばれています。

1943年、第6回新文展の審査員に任命される。
1991年、野口謙蔵記念館開館。

野口画伯は優れた歌人でもあったといわれ、
村内極楽寺の住職米田雄郎が編んだ『凍雪』に数首のせられています。

中村彝

中村彝(なかむら つね、明治20年(1887)7月3日~大正13年(1924)12月24日 37才没)
現在の水戸市に生まれる。

1905年、彝自身が結核を病んでおり、療養のため千葉県北条湊に赴く。
この地で水彩スケッチを始める。
1906年、本郷菊坂、次いで白馬会研究所へ通い、中原悌二郎と出会う。
1907年、中原についで太平洋画会研究所に移り、中村不折、満谷国四郎らに師事する。
1909年、第3回文展に初入選。
1910年、第4回文展で『海辺の村』が3等賞。この作品は実業家今村繁三が購入する。
1911年、新宿・中村屋の主人・相馬愛蔵夫妻の厚意で、中村屋の裏にある画室に住むことになる。
相馬夫妻は、彫刻家・荻原守衛や中原悌二郎をはじめ多くの芸術家を支援していた。
1920年、院展の特別展示でルノワールやロダンの作品を見て強い感銘を受ける。
帝展に出品した『エロシェンコ氏の像』は大きな賞賛を持って迎えられ、
大正期の洋画を代表する記念碑的作品のひとつとなっている。

難波田龍起

(なんばた たつおき、明治38年(1905)8月13日~平成9年(1997)11月8日 92才没)
北海道旭川市生まれ。

1923年、早稲田第一高等学院に入学。高村光太郎を知る。
1927年、高村光太郎と一緒に見たゴッホの作品に感動、画家を志す。
1928年、光太郎から川島理一郎を紹介され、師事する。
1933年、松本竣介、鶴岡政男らと親交を深める。
1937年、自由美術家協会結成に会友として参加。翌年、会員に推挙される。
1946年、日本美術会発足に委員として参加。
1947年、第1回美術団体連合展、第1回日本アンデパンダン展(日本美術会主催)に出品。
1961年、北象会を結成。

札幌・大谷短期大学美術科講師、文化女子大学室蘭短期大学教授。
紺綬褒章受章、毎日芸術賞受賞、文化功労者。

鑑定人・鑑定機関

日本洋画商協同組合鑑定登録委員会
〒104-0061 東京都中央区銀座6-3-2 ギャラリーセンタービル6階
TEL:03-3571-3402
http://www.yokyo.or.jp/jada/judge.html

中村善策

中村善策(なかむら ぜんさく、1901年(明治34)~1983年(昭和58))
北海道小樽出身。川端画学校卒

小樽洋画研究所に入所し画技を磨き、またセザンヌの作品を見て感動、油彩画を始める。
1924年、上京し川端画学校に入学。
同年、中央美術展にて初入賞を果たし、翌25年には二科展初入賞、36年二科展特特選受賞。
37年、安井曽太郎らが創立した、一水会にいち早く出品。昭和洋画奨励賞を受賞。
これを契機に、一水会会員に推挙され、以降同会や戦後は日展を中心として活躍を続ける。

地元小樽や、東京のアトリエ近くの公園などの風景画を主に製作したが、
現場主義の画家としても有名で、そのため10号ほどの小品作を多く残す。
大作の場合は、素描を元にアトリエで大半を製作し、最後の仕上げは現場に持ち込み完成させる
という徹底振りであり、画力や色彩感覚のほかに
その氏のこだわりも多くのファンを持つ一つの理由である。

中畑艸人

中畑艸人 (なかはたそうじん、明治45年(1912)7月11日~平成11年(1999)9月27日 87才没)
和歌山県海草郡生まれ。本名は幸夫。

1931~34年、日本水彩画展に出品
1932年、和歌山県師範学校を卒業。
1933年、帝展に水彩画「測候所」初入選。硲伊之助に師事。
1939年、一水会展に出品。同会員となる。
1948~51年、美術団体連合展に出品。
1955年、日展初出品、特選。
1957年、吹田市文化賞受賞。
1964年、渡欧。(以後4回)
1969年、英国ホース・アーチスト・オブ・ザ・ワールド招待出品。(以後1回)
1977年、一水会常任委員となる。

馬を描く名手として知られる。

野間仁根

(のまひとね、明治34年(1901)2月5日~昭和54年(1979)12月30日 78才没)
愛媛県に生まれる。

1920年、川端画学校を経て、東京美術学校に入学。
1923年、伊藤廉らと童顔社結成。
1924年、中央美術展、光風会展などに出品。第11回二科展に初入選。
1925年、東京美術学校卒業。
1928年、柘榴社入会。第15回二科展で「夜の床」が樗牛賞受賞。
1929年、第16回二科展で「The Full Moon」が二科賞受賞。
1933年、二科会会員となる。
1952年、日展改組に審査員として参加。
1955年、一陽会結成に会員として参加。

鑑定人・鑑定機関

日動画廊内各鑑定委員会
〒104-0061 東京都中央区銀座5-3-16
Tel:03-3571-2553
https://www.nichido-garo.co.jp/appraisal.html

奈良 美智

奈良 美智(なら よしとも、1959年12月5日 – )
青森県立弘前高等学校卒業まで弘前市で育つ。

武蔵野美術大学を1年で中退。1985年、愛知県立芸術大学美術学部卒、1987年、同大大学院修了。
美術系予備校教員を経て渡独。

1988年、ドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミー(Kunstakademie Düsseldorf)に入学。
A.R.ペンク(A. R. Penck)に師事。
1993年、マイスターシュウラー取得。
ケルン近郊のアトリエを拠点に作品を制作、欧米を中心に国際的に注目される。

1995年、名古屋市芸術奨励賞受賞。
1998年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員教授を村上隆と3か月間務める。
2000年、ドイツから帰国、東京に居住。
2005年、栃木県在住。2006年度武蔵野美術大学客員教授。

日本の現代美術の第二世代を代表するひとりで、世界的に評価されているポップアート作家。
ニューヨーク近代美術館(MoMA)やロサンゼルス現代美術館に作品が所蔵される。