鶴岡義雄

(つるおか よしお、大正6年(1917)~平成19年(2007)10月27日 90才没)
茨城県土浦市出身。林武に師事。

1941年、日本美術学校卒業。二科展で「台湾蛮女」が初入選。
1947年、二科展で「化粧」が二科賞受賞。
1950年、二科会会員となる。
1969年、カンヌ国際展に招待出品。サロン・ドートンヌ会員となる。
1974年、二科展で「ソワルドパリ」が内閣総理大臣賞受賞。

日本芸術院賞受賞、勲四等旭日小綬章受章、日本芸術院会員、茨城賞受賞。

滞欧生活を機にマドモアゼル・シリーズを制作、のち舞妓をモティーフとするようになる。

田村能里子

田村 能里子(たむら のりこ、昭和19年(1944)~)
愛知県名古屋市生まれ。

1966年、武蔵野美術大学油絵学科卒業。
1969年、インドに滞在し、大地に生きる人々を描く。
1982年、昭和会展優秀賞受賞。
1988年、西安のホテル「唐華賓館」壁画制作。
1989年、中山競馬場のロビーに壁画制作、以後各地で壁画を制作する。
JR東海名古屋駅ビルの壁画、テレビ東京で壁画制作、ファンケルスクエアで壁画制作。
マルホ株式会社創剤技術研究所に壁画「季のきらめき」を制作。

アジア、西域の人々をモチーフとした素描、油彩画を中心に制作。
世界的な壁画作家として活躍中。

安田火災海上美術財団賞、日本青年画家展優秀賞、前田寛治大賞展佳作賞等を受賞。
NHKほかTV出演多数。現在無所属。

田村孝之介

田村 孝之介(たむら こうのすけ、明治36年(1903)9月8日~昭和61年(1986)6月30日 82才没)
大阪市生まれ。本名・大西孝之助。

1920年、上京して太平洋画会研究所に学んだ。
1921年、大阪に戻り、小出楢重に師事した。
1926年、第13回二科展に初入選。
1927年、第1回全関西洋画展全関西賞を受賞。
1937年、二科会会員。
1947年、熊谷守一、宮本三郎らとともに二紀会を創立した。
1974年、二紀会理事長に就任。

裸婦、風景画を描く。

日本芸術院会員、文化功労者。

高田誠

高田誠 (たかだまこと、大正2年(1913)9月24日~平成4年(1992)10月24日 79才没)
埼玉県生まれ。

浦和中学在学中の16歳のときに「浦和風景」で二科展に初入選を果たしました。
1930年、安井曽太郎に師事。
1937年、一水会第一回展より出品し、翌年一水賞を受賞。

昭和15年頃から高田自身の独自の風景観がより強く現れてきます。
湿潤で土着的な安井の風景世界を踏まえつつも、穏やかで暖かい駘蕩とした風景画です。

日展文部大臣賞受賞、日本芸術院会員、文化功労者、浦和市美術家クラブ会長

鑑定人・鑑定機関

日本洋画商協同組合鑑定登録委員会
〒104-0061 東京都中央区銀座6-3-2 ギャラリーセンタービル6階
TEL:03-3571-3402
http://www.yokyo.or.jp/jada/judge.html

田村一男

田村 一男(たむら かずお、明治37年(1904)12月4日~平成9年(1997)7月10日 93才没)
東京生まれ。

高等小学校卒。東京市電気局や新聞社に勤務。
1924年、洋風額縁の先駆者である長尾建吉(静岡出身)の磯谷商店に勤め、岡田三郎助に師事。
1928年、「赤山の午後」が帝展初入選。
1940年、光風会会員。
1942年、昭和洋画奨励賞受賞。1946年、日展特選。1954-55年渡欧。1963年日本芸術院賞受賞。

油絵に山水画の東洋的感覚を持ち込み、独自の画風を創作した。代表作は「梅雨高原」。

日展理事、日本芸術院会員、文化功労者。

東郷青児

(とうごう せいじ、明治30年(1897)4月28日~昭和53年(1978) 80才没)

鹿児島市に生まれる。

1915年、山田耕筰の東京フィルハーモニー赤坂研究所の一室で制作。
このころ有島生馬を知り、以後師事する。
1921年、フランスに留学、リヨン美術学校に学ぶ。この頃の作品には、ピカソらの影響が見られる。
1928年、二科展に23点を特別陳列する。
1930年、ジャン・コクトーの「怖るべき子供たち」を翻訳、白水社より刊行。
1931年、二科会の会員となる。
1938年、二科会に「九室会」が結成され、藤田嗣治と共に顧問になる。
1957年、岡本太郎と共に日活映画『誘惑』に特別出演(西郷赤児役)。
1976年、損保ジャパン東郷青児美術館開設。

日本芸術院会員。勲二等旭日重光章受章。
フランス政府よりオフィシェ・ドルドル・デ・ザール・エ・レットル(文化勲章)受章。
文化功労者、正四位追贈。

鑑定人・鑑定機関

東郷青児鑑定委員会
〒104-0061 東京都中央区銀座1-20-9 岡崎ビル3階A
https://gallery-natume.amebaownd.com/

辻永

辻永(つじ ひさし、1884年(明治17)~1974年(昭和49))
広島県出身。東京美術学校西洋画科卒

1908年、第2回文展より連続して出品を重ねる。
1916年、第10回文展にて特選を受賞、以降、文展、帝展、新文展と活躍を示す。
1920~21年の一年間渡欧。

戦後は、日展を主に出品の場として、1947年に帝国美術院会員に就任する。
58年~69年まで日展理事長を勤め、59年には文化功労者表彰を受ける。

制作当初は、山羊を主なモチーフにした作品を多く手掛けていたが、大正末期~昭和初期の頃より
温和な風景画を描くようになり、高い評価を受けるようになる。
植物愛好家でもあり、花を写生した作品も多く残す。

サインは「H.Tsuji」など

高光一也

高光一也(たかみつ かずや、1906年(明治40)~1986年(昭和61))
石川県出身。石川県立工業学校図案絵画科卒

昭和7年、第十三回帝展にて初入賞を果たし、昭和12年、第1新文展にて特選を受賞する。
戦時中は、陸軍記録班として、インドシナ半島などに派遣される。
帰国後の昭和20・21年には、石川県文化美術協会や金沢美術工芸学校を創立。
講師や各理事なども務めた。
主に日展を中心に活躍し、昭和22年第3回日展で特選を受賞。以後入選を重ねる。
昭和46年日本芸術院賞を受賞。
昭和61年に、文化功労者に選出されるも、同年11月に死去する。

サインは「也」 「K.Takamitsu」 など

田辺至

田辺至(たなべ いたつ、1896年(明治29)~1968年(昭和43))
東京出身。東京美術学校西洋画科卒(研究科修了)

東京美術学校で黒田清輝の指導を受け、その後研究科に進学。
1907年、文展にて褒状受賞、以降、連続して文展に出品を重ねる。18年には文展特選を受賞。
14年、二科会の創立にも参加しているが、すぐに脱会。
19年、東京美術学校の助教授に就任、以来、44年まで25年間にわたり後進の指導にも尽力
(28年に教授に就任)
22年、文部省在外研究員として渡欧すると共に、油絵だけでなく版画の研究にも着手する。
帰国後、25年には、その滞欧作50作品を光風会展に出品、27年帝国美術院賞を受賞。

戦時中は、36年に中国に従軍画家として中国に赴任、戦後は47年に鎌倉美術クラブを設立。
55年神奈川県立近代美術館、85年盛岡橋本美術館にてそれぞれ回顧展を開催。

サインは「I.Tanabe」 「IT」 など。

寺島龍一

寺島龍一(てらしま りゅういち、1918年(大正7)~2001(平成13))
栃木県出身。東京美術学校油彩科卒

東京美術学校では、小林萬吾教室に次いで、寺内万次郎に師事。
卒業後1942年には、光風会展にて初入選となり、以降同会に出品・入選を重ねる。

戦後は、46年の第1回日展より連続出品。
光風会展では57年に会員に推挙、65年第51回展会員賞、77年第63回展にて辻永記念賞など受賞。
一方日展では、57年第13回展にて特選、70年第2回展にて菊花賞、79年改組11回展にて会員賞、
92年に改組24回展内閣総理大臣賞を受賞、また97年には前年の日展出品作により
日本芸術院賞を受賞、98年に芸術院会員に就任している。

エキゾティック世界観を持つ女性像を中心とした「アンダルシア」シリーズを展開。

サインは「Teras」