天保5年(1834年)~明治27年(1894年)
五代長左衛門の三男
六代長左衛門の弟
天保5年(1834年)~明治27年(1894年)
五代長左衛門の三男
六代長左衛門の弟
文政12年(1829年)~安政3年(1856年)
五代長左衛門の長男
28歳と短命であるが、注文を受けたもの、自身の作品と多様なものを残した
五代を受け継いだ穏やかな作風が特長
寛政11年(1799年)~安政3年(1856年)
四代長左衛門の子
五代長左衛門は大樋焼の中興の祖とされ、
幅広い作風、徳利、銘々皿、向付など注文に応じて幅広く制作した
宝暦8年(1858年)~天保10年(1839年)
歴代の中で初代に次ぐ名工と賞される
これまでの大樋焼の歴代が特長とした飴釉と共に、
他の色彩を用いた表現へ展開し、大樋焼の発展に貢献した
享保13年(1728年)~享和2年(1802年)
八代藩主前田十熙、十代藩主前田重教、
十一代藩主前田治脩の御用達窯として勤める
二代と同じく初代の伝統を受け継いだ古格な作風ではあるが、
釉薬や櫛目などに技法の模索、創意があるものがある
貞享3年(1686年)~延享4年(1747年)
初代長左衛門の子
二代長左衛門の作品として伝えられているものは非常に少ない
初代を受け継いだ飾り気のない素朴な作風を特徴とする
寛永8年(1631年) – 正徳2年(1712年)
大樋焼を創始した
屋号は荒屋、号は臘月庵
1666年、加賀藩主五代前田綱紀候の元に仕官していた裏千家四世仙叟宗室は、
楽家四代一入の弟子であった土師長左衛門を茶碗造り師として金沢に同行させ、
楽焼の技法を習得させた
この時より河北郡大樋村(現金沢市大樋町)に窯を築いたのが大樋焼の始まり
十代 大樋長左衛門
本名は奈良 年郞(なら としろう)。
陶芸家。大樋焼窯元十代。
昭和2年(1927)石川県生。本名は奈良年朗。東京芸大卒。
芸術院賞・文部大臣賞受賞。
日展理事審査員。現代工芸常任理事審査員。
文化勲章受章者。
2016年に大樋陶冶斎を襲名
(1727年(享保12)~1802年(享和2))
3代 大樋長左衛門
2代長左衛門の次男として生まれ家業を受け継ぐが、2代同様現存作品が少なく、
詳細についても不明な部分を多く残すが、三代の印は他の歴代の印とは異なり
独特な大樋印を使用している点が、特徴的で2代の楕円形大樋印を使用している作品も残している。
陶印は丸印「大樋」 楕円「大樋」など
(1660年(万治元)~1747年(延享4))
京都出身。本名:長二のち長左衛門
2代 大樋長左衛門
初代長左衛門の京都時代に長男として生まれる。初名を長二、父の後を次いで長左衛門を名乗る。
2代の作品は製作期間が少なかったのか、経年的なものか初代の作よりも現存が極めて稀であるが
その中での技量を見ると、歴代長左衛門の中でも随一ともいえる作域を見せている。
陶印は小判印/二重枠印「大樋」 など