(せいにゅう、1887年(明治20)~1944年(昭和19))
12代弘入の長男。本名は、惣吉(幼名)のち吉左衛門、喜英
13代楽吉左衛門
1919年家督を継承、吉左衛門を襲名。
作風は、独自に各地の鉱石を研究し、釉薬に生かせないかと研究し、鉱石釉黒茶碗などを制作。
楽茶碗のほかにも織部、志野、備前など、各地の陶磁も積極的に制作している。
また箆(へら)技術においても、個性的な表現が多く、全体的に見ると大胆な力強い作品を
多く残している。
没後、惺斎宗左より号、惺入を賜る。
印には「楽」上部の白の右側の糸偏が彡となっている草書体の「楽」印が特徴的で
その他に「十三代喜英」の角印がある。