釜師 大西清右衛門

千家十職の釜師 大西家は、室町時代後期から400年以上続く京釜師の家

・初代 大西浄林 天正十八年(1590年) ― 寛文三年(1663年)
・二代 大西浄清 文禄三年(1594年) ― 天和二年(1682年)
大西浄久 生年不詳 ― 貞享四年(1686年)
・三代 大西浄玄 寛永七年(1630年) ― 貞亨元年(1684年)
大西定林  生年不詳 ― 享保十二年(1727年)
・四代 大西浄頓 天保二年(1645年) ― 元禄十三年(1700年)
・五代 大西浄入 天保四年(1647年) ― 正徳六年(1716年)
・六代 大西浄元 元禄二年(1689年) ― 宝暦十二年(1762年)
・七代 大西浄玄 享保五年(1720年) ― 天明三年(1783年)
・八代 大西浄本 延享四年(1747年) ― 天明五年(1785年)
・九代 大西浄元 寛延二年(1749年) ― 文化八年(1811年)
・十代 大西浄雪 安永六年(1777年) ― 嘉永五年(1852年)
奥平了保 生年不詳 ― 嘉永四年(1852年)
・十一代 大西 浄寿 文化五年(1808年) ― 明治八年(1875年)
・十二代 大西浄典 天保十二年(1841年) ― 明治二年(1869年)
・十三代 大西浄長 慶応二年(1866 年) ― 昭和十八年(1943年)
・十五代 大西浄心 大正十三年(1924 年) ― 平成十四年(2002年)
・十六代 大西清衛門  昭和三十六年(1961年) –

茶碗師 樂吉左衛門

千家の正統的な茶道具を制作する千家十職の一家(茶碗師)
「一樂、二萩、三唐津」と謳われるように茶陶の分野において最高の評価を受けている

3代・道入以降の各当主には隠居した時に「入」の字を含む入道号という名前が贈られている

・元祖 あめや 生没年不詳
・家祖 田中宗慶 1535(天文4)年~没年不詳
・田中宗味 生没年不詳
・初代 長次郎 生年不詳~1589(天正17)年
・2代 樂吉左衛門(常慶) 生年不詳~1635(寛永12)年
・3代 樂吉左衛門(道入) 1599(慶長4)年~1656(明暦2)年
・4代 樂吉左衛門(一入) 1640(寛永17)年~1696(元禄9)年
・5代 樂吉左衛門(宗入) 1664(寛文4)年~1716(享保元)年
・6代 樂吉左衛門(左入) 1685(貞享2)年~1739(元文4)年
・7代 樂吉左衛門(長入) 1714(正徳4)年~1770(明和7)年
・8代 樂吉左衛門(得入) 1745(延享2)年~1774(安永3)年
・9代 樂吉左衛門(了入) 1756(宝暦6)年~1834(天保5)年
・10代 樂吉左衛門(旦入) 1795(寛政7)年~1854(安政元)年
・11代 樂吉左衛門(慶入) 1817(文化14)年~1902(明治35)年
・12代 樂吉左衛門(弘入) 1857(安政4)年~1932(昭和7)年
・13代 樂吉左衛門(惺入) 1887(明治20)年~1944(昭和19)年
・14代 樂吉左衛門(覚入) 1918(大正7)年~1980(昭和55)年
・15代 樂吉左衛門(直入) 1949(昭和24)年生
・16代 樂吉左衛門 1981(昭和56)年生

十代 年朗

十代 大樋長左衛門
本名は奈良 年郞(なら としろう)。

陶芸家。大樋焼窯元十代。
昭和2年(1927)石川県生。本名は奈良年朗。東京芸大卒。
芸術院賞・文部大臣賞受賞。
日展理事審査員。現代工芸常任理事審査員。
文化勲章受章者。
2016年に大樋陶冶斎を襲名

十一代 慶入

(けいにゅう、1817年(文化14)~1902年(明治35))
丹波酒造屋小川直八の子として生まれ、のちに旦入の婿養子として楽家に入る。

11代楽吉左衛門

1845年、28歳の頃に12代楽吉左衛門として家督を襲名。
西本願寺御庭焼露山窯に従事し、同寺明和光尊より号・雲亭を賜る。
のち、1871年の隠居後、慶入と名乗った。
また京都府の御用に従事、博物館の御用掛けなど、主に京都中心の活躍となった。
慶入の時代は、幕末~明治にかけての動乱期にあたり、茶や伝統文化の廃れた時代であったが
茶碗のほかに、立体的な置物などを作り、作陶に多様性を加えた。

印には、大徳寺大綱和尚筆の細書体の「楽」印を主に使用し、その他に行書体の「楽」、
草書体の「楽」、隠居後は上部に「白」中部に「絲(実際には糸偏が並列)」下部に「木」といった
独自の「楽」の書体の印を使用した。

五代 宗入

五代 宗入(そうにゅう、1664年(寛文4)~1716年(享保元))
雁金屋三右衛門の子。本名は平四郎、惣吉のち吉左衛門

5代 楽吉左衛門

幼少時に一入の養子となり陶技を継承。
元禄4年27歳の頃、5代吉左衛門を襲名する。
歴代楽家の中でも最も初代長次郎の作風に近く、よく研究した。
また独自の釉薬「カセ釉」を用いて、重厚な黒楽茶碗を得意とした。
そのほか宗入の赤楽茶碗は白みを帯びており特徴となる。

陶印は、印は楽印のほか字体の判別が困難な崩し「樂」印を使用。また無印の作品も多い。

十二世 小堀正明 宗慶

十二世 小堀正明 宗慶(こぼり そうけい、1923年(大正12)~(現在))
東京都出身。本名は正明。東京美術学校卒

11代小堀宗明の長男として生まれる。幼少時より父の薫陶を受ける。
東京美術学校では、日本画を専攻し、茶を中心とした美術全般に研鑽を深めるが、
在学中に学徒出陣となり、その後もシベリア抑留などの経験を持つ。

1949年に復員となり翌年には遠州公嫡子大膳宗慶公の号を継承。
以降、遠州流の茶道と茶文化の普及に尽力を示し、62年に正式に12代小堀宗慶をを襲名。
92年に都知事表彰、93年に勲四等旭日賞受賞などを受けている。

落款名は「宗慶」など

八世 小堀正優 宗中

八世 小堀正優 宗中(1786年(天明6)~1867年(慶応3))
本名は梅之助のち政優、字は大膳、号は和翁、大建庵

茶匠小堀家6代目の小堀政寿の子として生まれる。
その後、1788年に小室の屋敷を没収され、以降、京都孤篷庵に住す。
1828年に幕府から幕臣としての沙汰を受け、小堀家8世として小堀本家を再興するなど
当家中興の祖とされる。

印名は「宗中」など

初代 小堀政一 宗甫 孤篷庵

初代 小堀政一 宗甫 孤篷庵(1578年(天正6)~1645年(正保4))
本名は政一、通称は遠州、号は宗甫。

茶は古田織部、画は松花堂紹乗に師事。
江戸初期の茶人。遠州流の祖。
茶道・書・陶芸・歌道などに秀で、また茶器・書画の鑑定家としても有名。
遠州好みの窯「遠州七窯」を定める。

「大阪夏の陣」のち、伏見奉行となる。

印名は「宗甫」「正」など

九代 陶土斎

九代 陶土斎(1901年(明治34)~1986年(昭和61))
石川県出身。本名は長二。石川県立工業学校窯業科卒

9代 大樋長左衛門

石川県立工業学校を卒業後は、家業に専念。
1920年に農商務省工芸展で初入選。
25年には家督を継ぎ、9代大樋長左衛門を襲名。
ひたすら伝統の陶技を研究し、36年の個展「茶碗12ヶ月展」では高い評価を得る。
40年に近衛文麿より長左衛門印を拝領、42年には工芸技術保存者に認定、
58年より日本伝統工芸展に出品、入選を重ねる。

幕釉黒茶碗や飴釉茶碗をはじめ、茶陶専門に制作し昭和以降の大樋焼確立に大きく貢献。
歴代長左衛門の中でも特に名工と称された。

印名、陶印は「長左衛門」「大樋」「陶土斎」など

六代 朔太郎

六代 朔太郎(1829年(文政12)~1856年(安政3))

6代 大樋長左衛門

5代長左衛門の長男として生まれる。
父の作陶の補助などが主な仕事であり、ともに加賀藩の御用などを務めた。
28歳で父と同じく1856年に早世している為、既存作からは独自の作風の確立は
あまり見ることが出来ず、5代長左衛門の作風とよく似ているが
落款は比較的はっきりした大樋印を使用し「大」の最後の払い部分が途切れている為、
特徴となり印からの区別が可能。

陶印は丸印「大樋」 など