三代 道入

三代 道入(どうにゅう、1599年(慶長4)~1656年(明暦2))

3代 楽吉左衛門

楽歴代最高峰の作り手とされ、これまでの釉薬のほかに幕釉、砂釉、朱釉などを創作。
これまでの重厚なイメージよりも柔らかな作風で個性を発揮する。
また多くの名物茶碗を残し、ノンコウ写しなどとして現代においても
その作風を研究・模倣する作家は多い。

陶印は、大小二つの楽(樂)印を使用し楽の字の「白」を「自」としているのが特徴。

十四代 覚入

十四代 覚入(かくにゅう、1918年(大正7)~1980年(昭和55))
京都府出身。東京美術学校(彫刻科)卒

14代楽吉左衛門

1945年14代楽吉左衛門を襲名。
東京美術学校で近代的な造形を学び、また独自に緑釉、赤砂釉、幕釉、白釉などを研究し
伝統を継承しながらも、歴代吉左衛門にはなかった色彩やデザインを強調するような作品を展開。
没後十六代覚々斎宗左より覚入と号される。
京都伝統工芸家協会役員。

印名は「楽」(自筆草書体)(また1959年に高松宮妃殿より同妃殿下自筆の「楽」印を拝領)
「十四代喜慶」など

八代 得入

八代 得入(とくにゅう、1745年(延享2)~1774年(安永3))
7代長入の長男、本名は惣吉(幼名)のち吉左衛門のち佐兵

8代楽吉左衛門

18歳時に家督を襲名するが、25歳(1770年)のころ父長入が没すると
家督を弟に譲り、自らは隠居となり佐兵衛と名乗る。
吉左衛門としての制作期間が短くさらに早世だったため遺作はほとんど残っていないが
現存作品から作風を見ると大半が赤楽の作品で、独自の作風を築く前に没しているせいか
父・長入に似た作品を残している。
号の得入は没後25回忌にて贈られたものである。

陶印は樂の「白」字真中が「ヽ」となるのが特徴。

十三代 惺入

(せいにゅう、1887年(明治20)~1944年(昭和19))
12代弘入の長男。本名は、惣吉(幼名)のち吉左衛門、喜英

13代楽吉左衛門

1919年家督を継承、吉左衛門を襲名。
作風は、独自に各地の鉱石を研究し、釉薬に生かせないかと研究し、鉱石釉黒茶碗などを制作。
楽茶碗のほかにも織部、志野、備前など、各地の陶磁も積極的に制作している。
また箆(へら)技術においても、個性的な表現が多く、全体的に見ると大胆な力強い作品を
多く残している。
没後、惺斎宗左より号、惺入を賜る。
印には「楽」上部の白の右側の糸偏が彡となっている草書体の「楽」印が特徴的で
その他に「十三代喜英」の角印がある。

十代 旦入

十代 旦入(たんにゅう、1795年(寛政7)~1854年(嘉永7))
本名は市三郎、惣次郎(幼名)のち吉左衛

10代楽吉左衛門

17歳の頃家督を継ぎ襲名。
千家十職として了々斎宗左や吸江斎宗左によく仕え、吸江斎宗左(宗旦)より旦入の号を賜る。
1819年の徳川家御庭焼の従事のほか、1828年に二度目の紀州行きを命じられ
吸江斎宗左、十代永楽了全、十一代永楽保全と共に南紀偕楽園窯に従事し、
治宝候より自筆隷書体の楽印を拝領し、おもな使用印とした。

作風は父・了入をよく継承し、ヘラの技術に優れ茶碗の角度によっての違った魅力を演出、
作品としては小ぶりのものを多く残している。

陶印は、徳川家斎順候の湊御殿御庭焼清寧軒窯に従事した頃の印「清寧印」、
他に行書「樂」(「楽」)印(楽の下部が正しく木となっている「木楽印」などを使用、
「木樂印」下部の木の字が撥ねている)

七代 長入

七代 長入(ちょうにゅう、1714年(正徳4)~1770年(明和7))
6代左入の長男。本名は惣吉(幼名)のち吉左衛門、栄清
7代 楽吉左衛門

15歳で家督を継承し吉左衛門を襲名。
茶碗制作に当たり、独自の交趾釉を創造。また金彩による絵付けが特徴となり、
茶碗全体の印象としては、やわらかく丸みを帯びた作風のものを多く残す。
茶碗以外にも代表作として、「日蓮上人陶像」に見れるように細工物や立体表現にも優れたとされる。

陶印は樂印が枠内で全体的に小さい。また彫りが深い。

四代 一入

四代 一入(いちにゅう、1640年(寛永17)~1696年(元禄9))
3代道入の長男。本名は、佐兵衛のち吉兵衛のち吉左衛門。

4代 楽吉左衛門

17歳時に父道入と死別しているため、父の作風はあまり繁栄されておらず、
伝統的な楽焼の製法を継承する。
独自の技法としては、朱釉と黒釉を混入させた鮮やかな朱薬釉を創作。
全体的にこじんまりした茶碗を多く制作した。
門下に尾形乾山、本阿弥光甫など、そのほか庶子(妾の子)に一元がおり玉水焼を創始している。

陶印は、樂の中央「白」。糸字がそれぞれカタカナの「ノ」と「ム」で構成されたように見える。

初代 長次郎

初代 長次郎(ちょうじろう、(不明)~1589年(天正17))
初代 楽吉左衛門

茶の湯の大成者千利休に見出され楽茶碗の制作を始める。
作風はその造詣に千利休のワビ・サビの思想を表現、重厚な黒釉を用いた
存在感のある作品であった。
「宗入文書」によれば初代長次郎~2代常慶の間、宗味、宗慶など複数の人物が
存在したようで。その詳細は未だはっきりとしない。
その頃の作を「長次郎焼」と総称する。

竹細工・柄杓師 黒田正玄

竹細工・柄杓師 黒田正玄(くろだ しょうげん(初代)、1578年(天正6)~1653年(承応2))
越前国(福井県)出身。一阿弥、小堀遠州、江月宗玩に師事。

京都にて小堀遠州に茶の湯を師事。
また、秀吉から天下一の称号を賜った、名工柄杓師一阿弥の下で柄杓製作を開始する。
さらに大徳寺156世の江月宗玩に参禅、剃髪して正玄と名乗り、柄杓師黒田家を創始。
柄杓のほかにも竹細工を得意として、徳川家や陸奥白川藩に仕えた。
現在は13代。

塗師 中村宗哲

塗師 中村宗哲(なかむら そうてつ(初代)、1617年(元和3)~1695年(元禄8))
京都出身。本名は公弼

京都武者小路に居を構えていた茶人であったが、
隣人の武者小路千家初代千宗守(初めは塗師であった)の娘と結婚してその塗技術を受け継ぎ、
塗師を家業とする。
以降、宗守をはじめ、江岑宗左(表千家初代宗匠)、仙叟宗室(裏千家初代宗匠)の三千家や
京都の豪商灰屋紹益、呉服商藤村庸軒といった当時京でも有数の茶人の好み物を良く作った。

作品は全体的に見ると薄作な物が多く、代表作に「凡鳥棗」「望月棗」「朱茶桶」などが残る。
現在は13代。

印名は「宗哲」など。