大橋 翠石(おおはし すいせき、1865年~昭和20年(1945) 80才没)
岐阜県大垣市出身の明治から昭和にかけて活躍した。
幼少の頃から画を描く事を好み、戸田葆堂、天野方壷らに画を習った。
東京に出て、渡辺小崋に入門。
濃尾大震災後、見せ物小屋で虎を見て、翠石独特の画風を確立。
動物画、虎を得意とし、虎画で有名、内外の博覧会で受賞。
緻密な毛書きが施された虎画は1900年(明治33年)にパリ万国博覧会、セントルイス万国博覧会、日英博覧会などの国際博覧会で連続して優勝金牌を受賞。
昭和5年、「日本古画評価見立便覧」に翠石の名は「特別動物大家」として別記され「神戸市兵庫西須磨 金三千円 大橋翠石」とある。三千円は東の大観、西の栖鳳とならぶ破格の画価であった。いかに翠石の画が世の人々に珍重、絶賛されたかが知られる一事である。