三輪休雪

三輪休雪(みわ きゅうせつ)は山口県萩市の萩焼窯元・三輪窯の当主が代々襲名している名跡である。当代は第12代。

三輪窯は江戸時代に起こったと言われ由緒ある窯元である。
いずれも三輪窯の当主の時は休雪を名乗り、隠居後、隠居した上での号を名乗る。
10代三輪休和、11代三輪壽雪は人間国宝

三浦竹泉

三浦竹泉(みうら ちくせん、1854年(嘉永7)~1915年(大正4))
京都の人。本名は政吉

明治16年五条坂において独立、開窯。
西洋の色彩を磁器に用いる釉薬透明文様の研究、作成に成功した。
玉や珊瑚などを染付器に挿入、黄釉に彫刻を施すなど、新境地を次々に成功させた。

主に花生、茶碗、酒器などの茶陶を製作したが、特に煎茶器が有名。

陶印は「篩月庵主」 「竹泉造」 小判印「竹泉」など

宮川香山

宮川香山(みやがわ こうざん、1842年(天保13)~1916年(大正5))
京都の宮川長造の四男として生まれる。本名は、寅之助。通称、真葛香山

当初、父の後は兄の長平が継いでいたが早逝したために19歳の頃に兄の家族を引き取って家督を襲名。
1868年、父の後を継いで虫明窯の陶技指導に岡山に赴いている。
1871年、陶磁器の海外輸出を目指し横浜に開窯(以降横浜焼、横浜真葛焼などと称される)。
色絵磁器、薩摩封錦手、青磁、染付、釉下彩など色絵付けと立体造形力に秀でた作品を展開。
1873年、ウィーン万博で名誉金牌、89年のパリ万博金賞をはじめ国内外の展覧会で活躍を示し
世界に「マクズ・ウエア」として賞賛された。また、96年には帝室技芸員を拝命している。

作品には上記の華やかで科学的釉薬を駆使した海外向け作品のほか
陶器、磁器を問わず茶器などの茶陶や盆栽鉢などにも秀作が残り製作範囲の幅は広い。

印譜は下記のほか多種。
「虫明」印は、虫明に技術指導に行った作品のみに使用され小判型「真葛」印と2種同時に押されている。
現在のところ贋物も比較的少ないが、作行によって価格に大きな差がある。

宮之原謙

宮之原謙 (みやのはら けん、1898年~1977年)
鹿児島生まれ。二代宮川香山・板谷波山に師事。

早稲田大学理工学部卒業後、2代香山に師事。また日本画を山内 多門に学ぶ。
1927年、東陶会(波山、一雅、香山など)に参加。
1929年、第10回帝展に初入選。
1932年、第13回帝展にて特選を受ける。
1933年、新潟陶苑を築き後進の指導にあたるとともに官展に出品。
1946年、茨城県筑波山麓に築窯。
1948年、千葉県松戸市に移築する。
1957年、「空」により日本芸術院賞受賞。
1969年、日展理事。

松井康成

(まつい こうせい、1927 ~ 2003 )
長野県出身。本名は、美名(みめい)。 明治大学文学部卒

大学卒業後、1957年、茨城県笠間の浄土宗月宗寺24代の住職に就任。
59年、同寺山門の古窯を再興して作陶を開始。独自に中国、朝鮮、日本の古陶磁を研究する。
67年よりは田村耕一の薫陶も受け、特に中国の練上、象嵌技法の追求に励む。
69年、第9回伝統工芸展に「練上手大鉢」を初出品、奨励賞受賞となる。
各展覧会に出品を重ね、71年日本工芸会総裁賞、73年日本陶芸展最優秀賞、74年日本陶磁器協会賞、
75年日本伝統工芸展NHK会員賞、86年藤原啓記念賞、88年紫綬褒章、90年日本陶磁協会金賞、
91年MOA岡田茂吉大賞、など数々の受賞を重ね、93年には国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。

当初は、自然釉や窯変などの作品を試作していたが次第に中国宗時代の陶器に感銘を受ける。
その中でも最も特殊とされていた練上技法を模索、また現代風に多数の釉薬を用いて
独創的な作品を展開、その発色の美しさは高く評価されている。

陶印は、「康」「康成」「練上手」など

鑑定人・鑑定機関

東美鑑定評価機構
〒105-0004 東京都港区新橋6-19-15
Tel:03-3432-0713

三浦小平二

(みうら こへいじ、1933(昭和8)~2006(平成18))
新潟県・佐渡出身。三代三浦常山を祖父、三浦小平は父。東京芸術大学彫刻科卒。

無名異焼陶家の三代三浦常山を祖父に持ち、父に三浦小平を持つという家庭環境に生まれる。
自身も陶芸家を志し在学中より瀬戸の加藤土師萌に師事。
1961年、第4回新日展に初入選。

以後日本伝統工芸展を主体に各展にて受賞を続ける。
主な受賞には62年日本陶芸展朝日新聞社賞、67年伝統工芸新作展優秀賞、
76年日本伝統工芸展文部大臣賞、77年日本陶磁器協会賞、93年日本陶磁器協会金賞、
94年MOA岡田茂吉賞展大賞、95年日本伝統工芸展日本工芸会保持者賞、新潟日報文化賞、
96年紫綬褒章などがあり97年に国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定されている。

無名異の陶土に独自の薄青磁釉薬を掛け流し人工的に貫入を施し
さらに赤絵による絵付けを加えた作品で詩情溢れる芸術世界を創始、伝統の無名異の技法と
近代的な発色で国内外を問わず高い評価を受け海外における公演、個展も多い。

書銘は「小平二」の崩し字、印名はイニシャルの「MK」

鑑定人・鑑定機関

東美鑑定評価機構
〒105-0004 東京都港区新橋6-19-15
Tel:03-3432-0713

藤原啓

藤原啓(ふじわらけい 明治32年(1899)2月28日~昭和58年(1983)11月12日 84才)
岡山県備前市穂浪に農業を営む藤原伊三郎、世為の三男として生まれる。

1938年三村梅景に師事し備前陶芸の道を歩み始める。当時40歳という遅いスタートである。
1948年に国指定丸技作家の資格(備前焼では他に金重陶陽、山本陶秀のみ)を受ける。
1958年には日本工芸理事に就任。1962年プラハ国際陶芸賞を受賞した。
1970年4月25日重要無形文化財「備前焼」認定。1972年勲四等旭日章を受章。1976年には備前市名誉市民となる。
1983年勲三等瑞宝章を受章。

濱田庄司

濱田 庄司(はまだ しょうじ、明治27年(1894)12月9日~昭和53年(1978)1月5日 83才没)
神奈川県橘樹郡高津村溝ノ口の母の実家で生まれる。本名象二。

1913年、東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科に入学、
板谷波山に師事し窯業の基礎科学面を学ぶ。1916年同学校を卒業後は、学校が2年先輩の河井寛次郎と共に京都市立陶芸試験場にて主に釉薬の研究を行う。またこの頃柳宗悦、富本憲吉やバーナード・リーチの知遇を得る。

1930年からは、益子焼の産地、栃木県益子町で作陶を開始する。
手轆轤のみを使用するシンプルな造形と、釉薬の流描による大胆な模様を得意とした。
1955年に第1回の重要無形文化財「民芸陶器」保持者(人間国宝)。1968年には文化勲章を受章。
1961年の柳の没後は日本民藝館の第2代館長に就任。1977年には自ら蒐集した日本国内外の民芸品を展示する益子参考館を開館。

バーナード・リーチ

(Bernard Leach、1887年(明治20)~1979年(昭和54))
香港出身 師は6世尾形乾山

幼くして母親をなくし、当時日本在住であった父に養われ、京都などで幼少期を過ごす。
後に帰英するが、1909年21歳の頃再来日し、白樺派の文人や芸術家と接するようになる。
その中でも特に、柳宗悦と親交を持ち陶芸に惹かれ、6世尾形乾山の下陶芸修行を行い始める。
はじめは楽焼などを制作。
また、浜田庄司の益子窯の元で陶技に励み、河井寛次郎とも知りあい、共に柳の民芸運動に参加。
20年には浜田をつれ本国に帰国し、セント・アイヴスに日本式の登り窯を築窯、リーチ工房を設立。
以降、日本とイギリスを行き来し制作に励み、東西文化を融合した独自の作品を展開した。

昭和41年勲二等瑞宝章、49年には国際交流基金賞などを受賞し、54年92歳にて没す。

陶印は「BL」、押印「BL」など

矢口永壽

矢口永壽(やぐち えいじゅ、1870年(明治3)~1952年(昭和27))
石川県江沼郡出身。本名は岩吉

江沼郡山中温泉の湯宿の子として生まれる。
1904年に京都より、永楽保全の門下、滝口加全ら陶工数名を招き、自邸に磁窯を築き永寿窯を開窯。
さらに06年には清水六兵衛の門人・戸山寒山も招いて、染付磁器を中心に食器類を多く制作したが
その後は赤絵・祥瑞・乾山・仁清など京焼と色絵磁器の名手として茶陶中心に作風を変えた。
また、陶芸のほか書画、料理にも秀で北大路魯山人らとも親交を深めた。

陶印は「永壽」(「永寿」)など