(1795年~1854年)
了入の次男
1811年 十代吉左衞門を襲名
1845年 剃髪隠居して旦入と号す
父、了入の篦削りを主体とした作風をさらに追求する
また、窯変による鮮やかな変化をみせる赤樂茶碗などが特長
(1795年~1854年)
了入の次男
1811年 十代吉左衞門を襲名
1845年 剃髪隠居して旦入と号す
父、了入の篦削りを主体とした作風をさらに追求する
また、窯変による鮮やかな変化をみせる赤樂茶碗などが特長
(1756年~1834年)
長入の次男
兄、得入が25歳で隠居した為、
1770年 14歳で九代吉左衞門を襲名 1811年、剃髪隠居 了入と号す
一つの技法に縛られない自由闊達な作陶生活を送る
手捏ね技法における箆削りを強調したものが有名
(1745年~1774年)
長入の長男
1762年、八代吉左衞門を襲名
1770年、剃髪隠居して佐兵衞と号す 得入の名は没後25回忌の際に贈られたもの
若くして病死した為、作品数は少ない
(1714年~1770年)
左入の長男
1728年、七代吉左衞門を襲名
1762年、剃髪隠居 長入と号す
大らかな長入自身の人柄を表すような、たっぷりと大振り、厚造りで豊かな量感を持つ作風が特徴
(1685年~1739年)
宗入の娘、妙修の婿養子
1708年、六代吉左衞門を襲名
1728年、剃髪隠居して左入と号す
他家から迎え入れられた左入独自の、樂焼の伝統様式、光悦、他陶芸芸術の模作から
多くを吸収した作風が特徴的
(1664年~1716年)
一入の娘、妙通の婿養子
1691年、五代吉左衞門を襲名
1708年、剃髪隠居して宗入と号す
光琳、乾山が琳派と呼ばれる豪華で装飾的な様式美を完成させた元禄時代において、
宗入は装飾性を排した長次郎茶碗の追求に自らの創作の基盤を求め、独自の作風を追い求めた
(1640年~1696年)
三代道入の長男
道入の影響を受けた大らかな初期から、長次郎の伝統に根差す、侘を重んじる晩年へと作風の変化が見られる
黒釉に朱色の釉が混ざりあう「朱釉」(しゅぐすり)を完成させ、後世に大きな影響を残す
(1599年~1656年)
常慶の長男として誕生
別名「ノンコウ」と称され、樂歴代随一の名工とされる
(生年不詳~1635年)
田中宗慶の子
長次郎没後、樂焼の工房を統率
現在の樂家の基礎を築く
また、赤黒の二種の釉に加えて白釉(香炉釉)を考案
(生年不詳~1589年)
千利休に従い、赤樂茶碗、黒樂茶碗を造り樂焼を創設
その造形美は千利休の侘の思想が濃厚に反映され、独創的で深い存在感を放つ