二代 少庵宗淳 少庵 (1546年-1614年)
利休が秀吉の命により切腹、一家が離散したときに家督を継ぎ、苦難ののちに千家を再興させた
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初代 利休宗易 抛筌斎
初代 利休宗易(抛筌斎 ほううんさい) 1522年-1591年
千利休の名で広く知られる現在の茶道の原型を作った人物
国末期から天正年間、安土桃山の時代を生き、織田信長、豊臣秀吉という2人の天下人のもとで、わび茶を極めた
七代 道忠
天保5年(1834年)~明治27年(1894年)
五代長左衛門の三男
六代長左衛門の弟
六代 朔太郎
文政12年(1829年)~安政3年(1856年)
五代長左衛門の長男
28歳と短命であるが、注文を受けたもの、自身の作品と多様なものを残した
五代を受け継いだ穏やかな作風が特長
五代 勘兵衛
寛政11年(1799年)~安政3年(1856年)
四代長左衛門の子
五代長左衛門は大樋焼の中興の祖とされ、
幅広い作風、徳利、銘々皿、向付など注文に応じて幅広く制作した
四代 勘兵衛
宝暦8年(1858年)~天保10年(1839年)
歴代の中で初代に次ぐ名工と賞される
これまでの大樋焼の歴代が特長とした飴釉と共に、
他の色彩を用いた表現へ展開し、大樋焼の発展に貢献した
三代 勘兵衛
享保13年(1728年)~享和2年(1802年)
八代藩主前田十熙、十代藩主前田重教、
十一代藩主前田治脩の御用達窯として勤める
二代と同じく初代の伝統を受け継いだ古格な作風ではあるが、
釉薬や櫛目などに技法の模索、創意があるものがある
初代 長左衛門
寛永8年(1631年) – 正徳2年(1712年)
大樋焼を創始した
屋号は荒屋、号は臘月庵
1666年、加賀藩主五代前田綱紀候の元に仕官していた裏千家四世仙叟宗室は、
楽家四代一入の弟子であった土師長左衛門を茶碗造り師として金沢に同行させ、
楽焼の技法を習得させた
この時より河北郡大樋村(現金沢市大樋町)に窯を築いたのが大樋焼の始まり
十四代 覚入
(1918年~1980年)
惺入の長男
1940年 東京芸術大学 彫刻科を卒業
後に第二次世界大戦に従軍、1945年 終戦後戦地より帰国し、
のち十四代吉左衞門を襲名
1978年 財団法人樂美術館を設立
歴代の作風とは一線を画す、
伝統様式に現代性を融合させたモダンな造形を特徴とする
十三代 惺入
(1887年~1944年)
弘入の長男
1919年、32歳で十三代吉左衞門を襲名
茶道研究誌「茶道せゝらぎ」を発刊など茶道文化啓蒙の為精力的に活動した
惺入の作風は生真面目な惺入の性格を映したような伝統的な樂茶碗のスタイルに沿ったもの