池田泰真

池田泰真(いけだ たいしん、1825年(文政8)~1903年(明治36))
江戸赤坂出身。本名は七五郎(幼名)のち久三郎。号は泉哉。

三河国西尾藩士池田新五郎の子として生まれ、幼少のころより絵を描く事を好む。
11歳の頃に柴田是真に内弟子として入門、以来20数年間にわたり是真の下で学ぶ。
補佐として是真を助け墨形塗、青海波塗、青銅塗、砂張塗など漆芸技法の改良にも尽力を示す。

1859年、浅草榊町に独立。
明治以降は73年のウイーン万国博覧会出品以来国内外の展覧会に出品、受賞を重ね
審査員を歴任。また、宮内庁の御用品の制作にも多く携わり96年に帝室技芸員を拝命。

印名は、「泉哉」「泰真」「古満」など